超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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本当に重要な情報はペイウォールの向こうにある。

本当に重要な情報はペイウォールの向こうにある。


ここ最近、忙しくてブログをちゃんと落ち着いて書く暇がない。僕にとっての幸せとは何かと考えるのだけど、「晴耕雨読で日々働きながら創作をやったりブログを書いたりする日々が続くこと」なのだなと再確認してるところである。


まぁ、精神的に追い詰められているというよりは、単純にやるべき仕事がたくさんあるだけだからまぁいい。以前は、ストレッサーの同僚に精神的に追い詰められて、すぐさま仕事を辞めて会社を飛び出す寸前まで行ってしまったのだけど、今になって考えてみるとあの時はメンタル的にも不調でまともにものを考えることができてなかった。


病気が激しかった頃に比べると、精神的にも随分と落ち着いて冷静に判断ができるようになってきたと思うのだが、やっぱり何かしらのプレッシャーが掛かってしまうとすぐにメンタルが不調になる症状は残っているようである。そこんところを改善するために、日々の中で瞑想を習慣化していたりストレスの掛かる出来事の感情メモをしっかりと付けるようにして言語化をするようにしてたりするのだけど、やはりメンタルの弱さの根本的なところの完治は難しいのであるなと実感するところである。


僕のウィークポイントがメンタル的に弱いところであるというのなら、それを補うように工夫をしながら運用することの重要性が高いということであろう。一応、普段から気をつけていることであるけど、日常生活の中でもストレスをできるだけ溜め込まないように休みの日はしっかりと休むように工夫していたりとか、睡眠時間はしっかりと7時間程度は取れるように気をつけてたりだとかする。まぁ、基盤としてのシステムの方に直せないバグがあるというのなら、運用でカバーするぐらいしか方法がないだろう。


さて、昨日は何やら物騒な話を書いたので、今日は適当にプレッシャーがかからないような落ち着いた話でも書いてみたいものだなと考えるところである。僕ははてなに居着いてかなりの歴史があるユーザであるけども、はてなの一部にはどうしようもないスラムみたいな界隈があるのである。僕がはてなに住み始めた最初の頃というのは、そこからキャリアをスタートさせてるので、どうしてもあの界隈がどうなっていくのか興味がある。しかし、ま、あそこの人たちというのもそれぞれネットで居場所を探してあの場所に行き着いたのだろうし、僕が他人の痛くもない腹を探ってなんやかんやと口出しするのもいらんお節介であろう。


僕自身のコミュニケーションのルールとしてはこれだけは絶対守ろうという不文律みたいなものがあって、「自分がされて嫌なことは他人にもしない」という一点である。世の中のさまざまな出来事すべてにそれを適応しようとすると色々と矛盾が生じてくるかもしれないけど、自分の能力が及ぶ範囲ではできるだけ他人を嫌な気分にはさせないようにしながら仲良く交流ができたら良いなと思っているのである。


ネットの居場所というのもなかなかに興味深い話題であろう。情報社会の現代になって、人々はリアルでの居場所の他にサイバー空間にも居場所を持つようになった。さまざまあるSNSの中からそれぞれの居心地の良い場所を探して、日々の時間で誰かと交流したい時などにその場所で見知らぬ誰かと交流する。今の時代ではそんな生き方が普通になってきてる。


TwitterやらInstagramFacebookなど、そういう大手のSNSには人がたくさん居て、随分と賑やかな都会のような雰囲気である。その場所では何か発言をしたらいろんな人からレスポンスが返ってくる。いろんな公式のアカウントも大手のSNSには広告をたくさん出しており、目のつく至る所に煌びやかなネオンが輝いてる繁華街のような場所である。


僕も、昔からネット上の情報の流速が速い場所で網を張っておもしろげな情報を収集するのを趣味にしているので、そういう賑やかな繁華街というのも好きな場所であった。まぁ、近年になってネット上を流れている情報の質というのが、随分と粗製濫造でアジテーションビラみたいな質の低いものばかりになってるなと感じてきたのである。


ちょっと前からのネットのビジネスの流れで、ネット上の情報で有益なものについてはペイウォールの向こう側に囲われているという話がある。ペイウォールとは次のような概念である。


www.weblio.jp


新聞社や大手の出版社の公開しているコンテンツでも有益な情報についてはサブスクで課金しないと読めないようになっている。無料でネットに公開されてる情報については、商品を買わせるために出ている広告のための記事や、特定のイデオロギーへ動員するために偏った視点から人を煽るために書かれた記事ばかりになってるのだ。


TwitterのようなSNSであっても、そこで表示される情報というのはユーザの行動をアルゴリズムで分析して、購買する可能性がある商品の広告やら特定の政治イデオロギーに誘導したい情報ばかりが表示されており、人々の行動は大手の資本家の手のひらで踊らされている。


僕自身の考えとしては、豊かで楽しく生活することができるのであればそのようなフリーミアムの広告を受け入れるのもいいと思うのだが、最近のネットの状況というのは、以前の時代のようにTVの前に座り思考停止でダラダラとCM混じりの質の低いコンテンツを見せられる状況に似ている。自分自身でものを考えて、色々と複雑な社会の状況を判断するためには本質的な情報が必要であるなと思うのだが、Twitterとかその辺りのメジャーなSNSは、資本が入りすぎて逆に煩雑な情報で物事が見えにくくなるよね。


日々の中で、世の中の出来事をなるべく客観的に捉えて、自分にとって有益な行動は何かと考える時には質の高い情報がいる。そしてそれはペイウォールの向こう側に囲われている。ネットにて無料で得られる情報というのは、何かしら発信者側の利益にするため大衆を誘導しようという情報であり、下手をすると陰謀論やらおかしな情報に囚われてしまって現実の行動で大きな損失を出してしまう。これについて僕が思うことは、これからの時代というのは人に先んじようと思うのなら情報もお金で買う時代なんだろうなーということである。情報の流れも企業などにコントロールされており、最新であるとか本質的な情報は金を出さないと手に入らない。


だからどうする?的な問いに関しては、図書館や新聞をうまく使いましょうといった感じであるね。ネットで無制限に得られる広告ばかりの質の低い記事を見ていても視野は何も広がらん。むしろ、アナログで得られる情報の方に本質的なものが含まれているのだなというのが僕の最近の観点であるよ。ビジネスでネットを使って利益を得たいというのであれば、出し惜しみせずに新聞社や出版社のサブスクにお金を投じる必要もあるだろう。情報社会のビジネスの状況というのも色々と動いてるなと思った。

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