超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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私とは何かをブログで確認する。

私とは何かをブログで確認する。


このブログに関しては仕事の合間を縫って、暇がある時にさっくりと下書きを書いて夜にはてなブログのエディターへ入力するようにしてるのだけど、最近は本当に忙しくてブログを書けない事が発生してきてる。ブログの毎日更新は関しては絶対、途切れさせないようにしたいけど、どうしてもブログを書く時間がなくて記事が書けない日も出てくるかと思う。そういう時は一言二言だけの短縮版の記事になってしまうかもしれないけど、すんませんがご了承ください。


でも、ブログに関しては書ける時にはしっかりと書いておきたいよな。僕にとってはこうやって毎日ブログで日記を書くことがストレス解消方法の1つなんである。ただ日記を書くことが本当にストレス解消になるのかよと、僕も実際にブログを書き始める前はそんな疑問を持っていたが、実際に毎日ブログを書くと生活を丁寧に送ってる感じがして非常に気持ちがまとまるね。


まぁ、ネットを彷徨って色々とネットでブログを書いている人たちを観測していると、ブログというのは頑張って書くものという固定観念にハマってる人たちが多いようであるが、ブログは本当に自分の好きな気持ちを書いていればいいのである。何もたいそれたことを書こうと大上段に構える必要はなくて、自分がその文章を書いてる時に思いついたことをひたすらキーボードに叩きつけるブログがあっても良いかと思う。実際に僕のブログはその時の思いついたお気持ちを、ただただダラダラと書き綴ってるブログであるけども、そんな手抜きのような記事ばかり上げてるブログであれど続けていれば読者もついてくれるのである。自分の気持ちに素直に文章を書くように気をつけていれば、その気持ちを受け取ってくれる人が出てきて気持ちの良いコミュニケーションをすることができる。


ブログはオワコンと言われているように、今のネット文化を見渡してみると、長文を書いて情報発信したりコミュニケーションを取ったりする長文文化は終わりつつあるようである。そんな中でなぜ僕がいまだにブログを書き続けているかというと、単純に僕は文章を書くことが大好きなんだよね。


ブログを書く時間になってキーボードをタイプしていると、自分の頭の中で浮かんだ思いがどんどん言語化されていく。どんな文章が紡がれるのかというのは、自分自身でも書き終えてみるまでは分からなくて、日によって出来が素晴らしい日もあれば、とてもつまらないことをダラダラと書いてるだけの日もある。


でも、そうやって自分の思考が言葉でスケッチされた作品を後になって読み返してみると、自分がその頃にどんなことを考えていたかとか起きた出来事に関してどのような考え方をしていたのか知ることができる。自分自身がどんな存在であるかを、自分の書いたブログを読み返すことで知ることがよくある。


あなたはどんな人ですか? と問われた時に本心からスラスラと答えることができる人というのはなかなかいないだろう。大抵の場合は、自分の持ってる属性や社会での役割をいくつか答えることぐらいしかできないだろう。「自分は何者か?」という問いはとても難しくて、その問いに答えるため大昔から哲学者が議論を戦わせてきたぐらいだ。自分の持ってる属性などが自分であると答えたとしても、たとえば会社員であることがアイデンティティである人は仕事を解雇された時にその人は何者でもなくなるのだろうか? 外からラベル付けすることができるアイデンティティというのは簡単に剥奪できるものであり、明確に自分の存在を示すものではない。


「私」という存在は、生活の中でいろんな環境にいる時でも変化する。会社にいる時の私と、家にいるときの私。ネットの中に存在している私は、それぞれ違う顔を持っているけど自分にとっては同じ私だ。その私の連続性を保証しているのは、自分自身の記憶と周りの人があなたはこんな人であると認めている事だけという細い糸で繋がれているようなものである。急に明日、どこか自分を知ってる人がいない場所で記憶喪失になってしまったのならば、「私」という存在は雲散霧消する。過去や他人とのつながりを絶たれた私Bという存在は、以前までの私Aとは連続性が失われて違う存在になってしまうのである。


私という存在を支えるのは、記憶と他人の承認だけであるという絶望的な事実は、普段生活をしている時にはほとんど意識しない。なんとなくぼんやりと日々を生きていても、その生活の中にはちゃんと連続性があって、自分の意識はシームレスにつながってゆく。それは意識しなければ「私」の意識というのが雑事に忙殺されて希薄になっていくということでもあるのだ。


アジアンカンフージェネレーションの「Re:Re:」という曲の中に次のような歌詞がある。

僕は待った
君を待った
途切れない明日も過ぎていって
僕は今日も掻きむしって
忘れない傷を付けてるんだよ



僕にとってブログを書くことは、日々の中で傷をつけて、その時の記憶を時間の中に刻みつけている行為である。果てのない膨大な時間。無限に広がる情報の海。その中に、自分が書いた文章というのは確かにここにある。自分の存在を確認するために日々のスナップショットをとって、固定化することで「私」の存在を安定させる。ここに書かれている文章の一群は確かに自分の存在を証明するものであるし、それは完結してないということで確からしさを増している。


僕が「あなたは何者か」と問われたら、このブログは確かに自分の存在を証明するものであろう。日々の中で自分を再確認するためにキーボードへ向かって文章を書く。そういう行為を通じて自分は自分であると納得することができているのだけどね。

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