超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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梅雨が明けて夏が始まる。

梅雨が明けて夏が始まる。


沖縄は梅雨が明けたようである。これから暑くて激しい沖縄の夏が始まる。


んー、僕は夏よりは冬の方が好きだよ。ほんと沖縄の夏というのはギンギンの太陽が毎日殺しに来て、下手に日焼けをすると水膨れまで発生するような殺人光線を発してるような季節だよ。


まぁ、内地から来る人はそれがいいのかな。沖縄あるあるでよく言われることであるが、ビーチで水着で泳いでる人というのはナイチャーばっかりであるというのはよく言われる。沖縄県民が海で泳ぐ時はTシャツを着たりとか、直射日光を浴びないように工夫するものだし、そもそも海というのは見るものであり泳ぐことというのはあんまりしない。


僕はもともと漁村の出身であるため、泳ごうと思えば泳げるのであるが、そこまで水泳が好きだという訳でもない。運動のために泳ぐというのであればプールの方がマシであるし、必要がなければ海で泳ぎたいとも思わない。


僕はインドアな人間であるゆえ、外でアクティビティを楽しむよりは家の中でコンテンツを消費してる方が好きである。それはこのブログによく来てる読者諸氏にはとっくにご存知のことであろう。根暗で陰気な僕のようなタイプというのは、沖縄という地では完全にアウェイである。沖縄県民の県民性というのは、人見知りはするけど明るくてパリピばっかり。基本的にみんなで集まってどこかにいってはしゃいだりする遊びが好きである。


なので、夏になるとみんなでビーチでBBQをやって大騒ぎをするビーチパーティをよく開催する。海辺でガンガン肉を焼き、酒盛りをしながら昼間っからどんちゃん騒ぎをするのである。沖縄県内のビーチにはそのためのBBQ施設というのが常設されており、初夏ぐらいのシーズンからはどこも予約でいっぱいになる。


ちなみに、僕はビーチパーティになると一人海辺で本でも読んでるようなタイプである。そもそも人嫌いで人と関わるのが好きではなく、イベントになると参加したくないけど波風を立てるのも嫌なので、顔だけ出してさっさとトンズラしてしまうことにしている。


別に海を見るのは嫌いではないが、どうせ見るなら僕は一人でぼんやりと無心に海を眺めていたいと思う。というか、海をぼんやりと眺めるのはめっちゃ好きだね。僕にはいつも行きつけの海岸があり、休日などはそちらにいって車を止めてぼんやりと海を眺めていることが多い。


身バレを避けるために詳細な場所までは紹介しないけども、ぼくんちからしばらく走れば海辺にはすぐ着く場所に住んでいる。地元の方には海辺に駐車場が設置されてて目の前がオーシャンビューだけど無名だから人がまったく集まらない海岸がある。


僕は休日などでとくにやることがない時などは、こちらで車を止めてずっと波を眺めていることがある。波を見るというのはおもしろい。海をぼんやりと眺めているとずっとひっきりなしに波がやってきて、白い泡を立てながら山になったり谷になったりして崩れていく。こんな風に波が砕けていく光景を何も考えずにぼんやりと眺めているのが好きなのである。


沖縄というとエメラルドグリーンの青い海と空みたいなイメージで語られがちであるが、冬場になると雨季に入りずっと曇天で薄暗い感じの天気が続く。沖縄っぽい綺麗な光景が見たいのであれば、観光で来るのは7月8月の真夏がオンシーズンであるが、僕は冬場の映えない感じの荒れた海というのも好きである。


冬の人気がないビーチで、寒い海風に凍えながら海鳴りの音を聞くというのはオツなものである。一人っきりで灰色の海を眺めるのは茫洋とした心持ちになり気持ちがいいものだ。僕が持ってる心象風景は灰色の冬の海であるとかこんな感じの景色が近い。


もう僕もいい歳であるけど、昔から「大自然と書物の友」なんだよね。人混みから離れて一人きりでヤンバルの森の中で佇んでいたりとか、海辺でゴザを敷いて誰もいない海岸で星空を眺めていたりという行動が好きなんだよね。それ以外の時も、図書館で借りてきた本を海辺のカフェでずっと読んでたりとか極めてインドアな趣味ばかりを持っている。


これは大学生ぐらいの時からずっとそうなので、もう生まれ持った自分の性質みたいなもんなのだろう。一日のうちに数時間は自分一人の時間がないとエネルギーを消耗していき神経衰弱に陥る。一人の時間では何か創作をしてたりとか、読書をしてたりみたいな自分一人で楽しめる一人あそびが大好きである。


もー、この歳までこんな孤独癖が抜けない感じであるので、これは一生治らないんだと思う。人と話すのはどんな内容でも気疲れするし、それぐらいであれば一人で海辺で本でも読んでる方がマシなのである。必要な社交辞令であるとかそんなコミュニケーションの努力は怠らないように後天的に勉強はしてきたけども、どうにも自分にとってはそれは不自然で疲れるばっかで楽しくない。


若い頃はそれで悩んでたこともあったけど、なんか今の僕はこれは仕方のないことだと思ってる。一人が好きなのであれば一人でいることは自然なことであり、そのことで悩むのは疲れるだけだ。人は人、自分は自分。されど仲良しである。人嫌いだからといって、しいて人と対立する必要はないけど、別に必要がない時までベタベタと馴れ合う必要もない。必要な人間関係はちゃんと維持できるようにコミュニケーションをとる努力は必要かなと思うけど、それ以外の時まで群れて暮らすことは必要なんだろうか?

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