超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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漱石の牛の話からする人生の話。

漱石の牛の話からする人生の話。


調子はそこそこ悪くない。朝は相変わらず雨が降っており、那覇は大混雑状態であり通勤に時間がかかってしまう。最近は朝のコーヒーも前日に作った水出しコーヒーばかりになっているし、ちゃんと早起きしてコーヒーを淹れるようなルーチンも取り戻したいものだ。


さて、何を書くか。基本的にこのブログはジャーナリングのように、エディターを立ち上げた後の思いつきをつらつらと書き連ねることで作成されているものであるが、アイデアが浮かぶ時もあれば浮かばない時もある。


そろそろニュースレターと寄稿文のための文章を書かねばならぬと思うところである。今週末に書いてしまおうと思うが、土曜日は病院で、日曜日はマッサージを受ける予約を入れてしまったのだ。できれば時間に追われて文章を書くというのはやりたくないのだが、こういう変わり種の文章も書いていて面白いものであるから、頑張って仕上げようと思う。


特にネタがないので、本当に思いつきを引っ張り出してきて、それを元に書かせてもらう。今回は漱石と牛の話を念頭に置いて、いろいろと述べさせてもらう。


夏目漱石が、自分の門下である芥川龍之介久米正雄に宛てた手紙の中の一文で、このような文章を書いている。

牛になる事はどうしても必要です。われわれはとかく馬になりたがるが、牛にはなかなかなり切れないです。僕のような老猾なものでも、ただいま牛と馬とつがって孕める事ある相の子位な程度のものです。

あせっては不可(いけま)せん。頭を悪くしては不可せん。根気ずくでお出でなさい。世の中は根気の前に頭を下げる事を知っていますが、火花の前には一瞬の記憶しか与えてくれません。うんうん死ぬまで押すのです。それだけです。決して相手を拵えてそれを押しちゃ不可せん。相手はいくらでも後から後からと出て来ます。そうしてわれわれを悩ませます。牛は超然として押していくのです。何を押すかと聞くなら申します。人間を押すのです。文士を押すのではありません。

これから湯に入ります。


これはすごい含蓄に溢れた言葉であると思う。若くて才気に溢れた人というのは、何かと焦って功績を立てて注目を集めようと頑張ってしまうが、実際のところ、それで功績を残したとしても世間はすぐに忘れてしまうのである。


これは人生における成功であるとか、真の芸術とは何かということを漱石は述べているのだと思う。そこらへんのSNSにいる炎上インフルエンサーのように、過激な言動で人の耳目を集めるというのは難しくない。しかし、それで一時的に世の中から注目を集めることができたとしても、人の噂も七十五日。あっという間に世の中の人々はその話題に飽きて、次の新しい話題を探して去ってしまう。


こうやって、一時的に人の耳目を集めて去っていった人たちは無数にいる。小説の世界でも、華々しく新人賞を受賞して仕事を辞めて専業作家になったはいいが、それ以来全ての作品が鳴かず飛ばずで路頭に迷うのも珍しくない。これは確か、東野圭吾の「黒笑小説」あたりの短編集でそういう話があったように思う。


ちょっと昔のことを思い出したのだが、昔はブログで食うために仕事・大学を辞めてプロブロガーになる。レールを外れて生きていく! と息巻いている人たちが割といた。僕も意識してそれらの人たちのその後を追っているわけではないが、それらの人たちで今でもネットで名前を聞く人というのはほとんどいない。結局、ブログオワコンの時代の後も生き残ってブログを書き続けているのは、僕のような注目もされずにダラダラと雑文ばかりを書いている奴だったりする。


若いうちに元気よく「太く短く生きる」というのは結構であるが、実のところ、一時的に注目された後の人生というのは長いものである。それと、僕も40になって気がついてきたことだが、若い頃よりある程度年齢を経た方が世の中のことがよく見えていろんなことが理解できているんだよね。仕事でも創作でも、歳をとって見えてきた世界観の中でしか描けないような事柄というのはたくさんあるし、その年齢に応じて見えてくる様々なステージというのは確実にある。


一時を激しく燃え尽くすような「明日のジョー」の矢吹ジョーのような人生は美しくあるものの、実際幸せに生きることができる生き方というのはマンモス西のようにしっかりと地道に普通の人生を生きた方なのだと思う。あの作品は、その対比を表すためにマンモス西のような存在を作ったのだろう。


それと、芸術というのはその作者の生き様により価値が変わるようなところがある。井伏鱒二はその代表作「山椒魚」を一生にわたり、加筆をしたり削ったり推敲を続けた。若い頃の価値観だけで人を動かすものを作ることはできず、生涯を通じてそのイメージを追い続けることで普遍的な価値観を残す作品というのは出来上がる。


要するに、人を動かすために何かをしたいと思うのならば、これと決めたライフワークを通じてうんうんと押し続けるしかないのである。目先の思いつきに振り回されてはいけない。視座を高く持とう。何かを成し遂げたいと思うのならば、一生かけてもやれることを見つけることが重要である。

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