超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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自由 vs. ルール: ブロガーのジレンマを考える

自由 vs. ルール: ブロガーのジレンマを考える


特に嫌なことがあった訳ではないが、気力が全然湧かない。睡眠不足でもないし、嫌なことがあったということでもないけど、なんとなく生活全般のやる気がせずにネットをフラフラとしてしまう。


理由もなくネットのネガティブな情報をダラダラと眺めるようになった時は注意信号である。僕の場合、メンタルの調子が悪くなってきた時にこのドゥームスクローリングの症状が出てくるし、何も手を打たずにネットに依存すると、嫌な情報をさらに深掘りして追加でメンタルにダメージを喰らう。


こういう時はさっさと帰って飯を食い、ブログをぱっと仕上げて寝てしまうのが良いだろう。今週の日曜日は特に予定がないであるし、またサウナに行くのも良いかもしれない。最近、有意義なことを生活に詰め込もうと「ベキネバ」で努力をする悪癖が再発しちゃっててね。意図的に気を抜くように休息を入れないとまたパンクする。


ひとまずブログもテキトーになんか思いついた日々の出来事をダラダラと日記形式で綴るモードに入ろう。中途半端に意識が高くなってる時は、文章を書くときも「何か有意義なことを書かなければ!」と肩に力が入った状態になり、思考を文章にアウトプットするときに変な検閲が入る。この状態だと書いていても面白くないし、なんか妙に意識高い系みたいな、「努力して生活を改善して成功を目指さねば!」みたいな結論の文章を書きがちである。


僕は最近にしてようやく気がついてきたのだけど、生産性であるとか効率ばかりを求める生活というのはかえって人生のQOLを下げてしまうのだな。世の中にあるあまたのライフハックであるとか仕事術というのは、確かにそれで多くの情報を処理してタスクを片付けることができるけど、それで人生の幸福度が上がるかというとそうではない。


僕の場合も常態での生活への態度というのが「○○しなければ」という思考パターンが染み付いちゃってるので、常に日常のタスクに追いかけられており、息をつく暇というのがない。休日でも朝のルーチンであるとか夜の寝る前のルーチンというのは決まっており、毎日必ず一時間ブログを書くなどの習慣も決まっているので、常に時間に追いかけられているモードではあるなと思うのである。


ブログにしてもそうなのであるが、僕は毎日2000字以上はブログを書くというマイルールのもとで毎日更新を2700日以上継続してきたのだけど、このルーチンというのは自己満足だけのためのものであり、そのルールに特に意味はないのである。かといって毎日更新を辞められるのか? と問われると、それは多分もう無理だ。


その他でも、生活に設けてある縛りについては意味があるものがあれば、特に意味も利点も存在してないような意味不明なやつもある。朝に車に乗り込んだ後に必ず20分の瞑想をするというような効果的なやつもあるんだけど、必ず朝はコンビニでコーヒーとミンティアを買うという、金銭面で見ると微妙なやつもある。まぁ、最近は夜の夕食を食べる前にduolingoで必ず一つレッスンを終わらせて、Easy Englishの英文ニュースを一つ読むなどの英語学習の習慣も追加されている。


とにかく僕は一旦マイルールでルーチンができてしまうと、そのルールを外れることが難しくなるという難儀な性格である。ブログぐらいは自由に書こう! という思いもあったのだけど、1時間以内に2000字を書くというマイルールができているのであり、時に低品質で意味不明なエントリーだったりとか、調子が悪い時は内面を抉って調子を崩すようなことを書いてしまうこともあるのである。


ここまでガチガチの縛りのもとでブログを書いてなんの目的があるのか? と問われても、「それが自分のルールだから」という理由ぐらいしかない。強いていうのならば、一日ブログを書けば1日分だけ自分のブログのアーカイブが増えるのでそれが楽しい。毎日更新については、はてなブログでは連続更新日数が見えるので、書けば確実に数字が増えるのでそれが快感という理由である。


僕のブログで書いていることというのは、とりあえず他の人に見せても大丈夫なことを書いてる僕の日記という位置付けであるけど、ブログの他にも毎日仕事の作業記録であるとか考えていることの長文を書いてあるScrapboxがある。そちらの方はブログでは書けないような愚痴であるとか、プライベートな悩み事を書くスペースになってるのだけど、こちらも結構毎日継続が続いている。


最近は土曜日にニュースレターも書くようになったし、こんな風に書いて書いて書きまくる生活が何が楽しいのだろう? と思ったりもする。どうも僕の場合だと、思考のベースというのが基本的に毎日更新で書く書き言葉であるらしく、こんな風に何かを書きがながらじゃないとまともにものを考えることができないのである。


最近は自分の書いてる文体に対してもコンプレックスを感じたりするのだけど、本当に思いついたことを書いてるだけで他の人に読ませる文章でもないものを書いて何が楽しいんだろう? と考えたりもする。どうも、僕の場合だとこんな感じで「ベキネバ」に縛られて、何かを書いたりしながら思考をひたすらに深掘りしたりする生活が自然であるらしく、何も考えないとこんな感じになる。


これが自分の本心か? と考えたりするのだけど、どうも僕にとってはこうやって毎日ブログを書きまくりながらマイルールに縛られた生活の方が楽であり、下手に自由に行動していいよと言われても疲れ果ててしまう。これがいいのか悪いのか分からんけど、自分にとっては自然だよな。

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