小説を書く事を通じて人間理解を深めたい。
ひとまず、マシュマロが来てない日曜日だったのでnoteを書いた。
文章の書き方について自分の知っているノウハウをまとめてみた。別の僕はそれほど優れた物書きという訳でもないけど、ある程度のノウハウは知っている。それを自分用の備忘録としてまとめた内容である。
なんか、これを書こうと思ったのは最近、新しく小説を書きたいと思って設定などを練っている最中だからである。オリジナル小説でも一本書こうかと思って、過去にメモしておいたアイディアなどを膨らませようとしているのである。
イラストの考え方なんだけど、このnoteは小説執筆にも使えるのではないか?と思った。
一枚のイラストを描くために、そのディティールを徹底的に研究しぬく事が絵描きに求められる能力という事に気が付かされた。そりゃまぁ、そうなんだけど、ディティールが細かな作品を描くためには一つ一つの物の構造を完璧に把握していないと描けない。なんとなく写真を見た程度の上っ面だけの想像力でそれを描こうとしたら、上っ面でしかない絵にしかならない。こういうのは美大とかのスケッチの勉強では徹底的に叩き込まれるみたいで、スケッチではその物質の質量を表現できるまで繰り返し繰り返し基礎練習をやらされることになる。
こりゃまぁ、小説でも一緒だなーと僕は思う。小説というのはその登場人物の人生観を表現するものだと認識しているので、上っ面の人間理解で書かれた小説は上っ面でしかない作品にしかならない。これは純文学だからとかラノベだからどうこうというよりも、作者の人生への向き合う態度である。その作品に描き出された人生観というのは、作者が理解できている人生観のレベル以上は表現できない。こりゃ、自戒みたいなもんだけど、浅い人間理解で書かれた生死観を巡る小説などは、そういうのを分かっている人が読んだら噴飯ものなんだろうなーと思う。どうも、小説ってのは巧拙はともかく人生の価値観すべてを込めて書くものと思っているので、素人の小説でも覚悟もなく簡単に評論するのって、僕は怖くてやれないな。
小説を簡単に書くためのノウハウというのはネットでも書籍でも溢れていて、それらをちゃんと知っていたらある程度、「小説みたいなもの」は書ける。僕もそれらのノウハウはある程度は知っていて、今回書いたnoteはそういった情報から実際に自分が小説や長文を書くときに使っている方法をまとめた。しかしながら、方法論だけまとめるというのも、仏作って魂入れずといいますか、それ以外の部分の事を端折りすぎたなーって公開して思った。
ぼくの胸をぞわぞわさせる「いい気になっている」人たちは、ほぼ例外なくなんらかの「能書き」をたれている。辞書にあるように能書きとは、お薬の効能を記した「効能書き」から派生したことばであり、効くともしれない効能について、あれこれ偉そうにしゃべる人が「能書きたれ」だ。
たとえばどこかの編集者が「こうすれば売れる」と語るとき。あるいはライターが「こうすれば書ける」と語るとき。ヒットの法則やクリエイティブの秘訣について、あれこれあれこれ語るとき。正直ぼくの耳にはその9割が、実体を伴わない能書きにしか聞こえない。
たぶん、ほんとうにクリエイティブで、ほんとうにアイデアに優れた人は、もっとことばを大事にするのだ。テキトーな能書きで類型化することなく、ことばにしないまま実直に仕事を進めたり、選びに選んだことばで自身の仕事を語っていったり。ぼくが能書きにぞわぞわするのは、その「いい気になっている」さまではなく、ことばに対するデリカシーのなさ、なのだ。
古賀史健さんのこの言葉は非常に胸に刺さる。ことばを使って仕事をしている人というのは軽々しくノウハウを語らないものなのだ。簡単に類型化されたノウハウや考え方で人生を語りつくすことは100%できない。なぜならばことばを使って自分の価値観を表現しようと思うならば、他人の借り物のことばによって成されるものではないはずなので、どこかで完璧なオリジナルな自分のことばにたどり着かないとならない。そこまでえぐいぐらいに心を掘り下げる事が創作だと思ってるし、そうして削りだされた像を自分の目で見てみたいから僕は創作をやっている。
ノウハウからまず作品を仕上げるというのは経験としては良いかもしれないけど、いつまでもその領域に留まっていては作品的にも人間的にも成長は望めないだろう。僕が小説を書く事はそういう事だと思ってますけどね。