
「四十にして惑わず」の境地がわかるようになってきた。
今日は午前中はコストコで買い物。そのあとはメガネ屋で新しいメガネを作ってきた。
しかし、新しいメガネを作ってもらおうと視力検査をしたら、勧められたのは遠近両用。。まじか。老眼入ってるんだと。
基本的に僕の仕事というのは、1日の大半をモニターかスマホを見ながら過ごしている。そりゃ目も消耗は激しいもんだろう。メガネはいいものを使ったほうがいいんだけど、今回利用した眼鏡屋はオウンデーズ。それでもブルーライトカットと遠近両用のレンズのオプションをつけると3万近くしたけど、背に腹は抱えられないだろう。
なんかもー、歳をとるのは仕方ないとしても、いろんな器官が衰えていくのはたまらんもんだよね。出来るだけ体の衰えを減らすために、栄養バランスを気をつけたり週3回はちゃんとジムに通っている。それでも耳とか目とか感覚器官から衰えるんだもんなぁ。
目は気をつけんとならんよな。僕はわりかし本も読むタイプの人種であるので、老後まではある程度文字が読める程度の視力は保っておきたい物である。いや、今の動けるうちにいろんな娯楽とか趣味とかを楽しんで充実させておくことだろうな。人生には自由に動ける期間というのはタイムリミットがある。
なんだかなー。ほんと、歳を取ると体力を使う旅行も難しいだろうし、今の行けるうちにいろんなところに行った方がいいんだろうな。海外とかも僕は2〜3度は行ったことがあるけど、プライベートではまだどこも行ってない。台湾とか韓国とか、そういう近場のすぐ行ける国でも機会を見ていくのがいいかもしれない。
ほんと、生きるってのは生老病死愛別離苦。いろんな苦しみに満ちてるもんだ。自分自身が衰えるのはもうちょっと先かと思っていたが、予想以上にすごい勢いで衰えていくんだな。マジで。動ける今のうちにやれることは全部やるぐらいの勢いで行動すべきであるな。
別に長生きはそんなにしたくないもんな。いや、どうなんだろ、ほんと僕の人生前半というのはとてつもない煮湯ばかりを飲まされてきた人生であるしな。それで半ば「こんなもんか」と諦めてるところがあるから、長生きなんてしたくないと思ってるが、人生後半で巻き返せることというのはあるんだろうか?
そもそも僕は、人生においての成功というのについては諦めている。何かしらの事業を起こして大成功とか文学賞に応募してみたら選ばれてベストセラー作家、というような路線については、持ってる夢としてはいいけど自分には起こらないだろうという確信がある。
僕の悪いところの一つであるけど、人に認められるのも諦めてるけど、自分でも自分自身のことを見放してるところがある。別にセルフネグレクトをやるほどに絶望をしてる訳でもないのだが、それは見苦しい生き方をしてる人を見かけると「ああはなるまい」と思うからである。
なんじゃろ。人生を諦めている訳ではないけど、それは趣味をやったりとかいろんなコンテンツを楽しんだりとかで面白く生きられればいいなという感じ。
なるべく毎日の生活の中で気楽な感じで、自分が楽しいと思えることを増やしていければいいかなと思ってる。それはコツコツとブログを書いていくことだったり、飯を食いながら毎日1話ずつアニメを見たりみたいな活動である。努力を積み重ねて大成功して多くの人から承認を受けるような、そういうのは「どうでもいい」と思ってる。
ここんところを突き詰めていくとなんか暗い話になりそうだから掘り下げるのはやめよう。酸っぱい葡萄とかそういうのでこんな感覚が出てるのではなくて、ほんと自然な感じでこういう思考なのである。あまりにも人生の中で苦しい思いをしすぎてきたので、割と最近の生活の方が静かな幸せを感じていいなーと感じてる。
こういう心理に至ったのも加齢によるものだろうなと思う。孔子の言ってる「四十にして惑わず」の境地はこれなんじゃないかと思うのだ。大体、これぐらいの年齢ならば自分がどこまで飛べるのか見えてきてるし、若い頃のように人に認められるためにバタバタと大騒ぎをするようなエネルギーも無くなっている。
きちんと毎日規則正しくルーチンで生活して、それで生活の中でやる家事とかもちゃんと丁寧に行う。きちんと定期的にジムに通ったりして、筋トレやウォーキングなどの運動もする。夜はブログや小説を書いたり、apple music classicでいろんなクラッシックを聞いたりする。服や髪型もちゃんと金と手間を掛けて整えるようにする。僕が生活の中で気をつけてやってるのはこんな感じ。
最近僕は「パーフェクトデイズ」を観て、すごく感動したけど、ほんと自分の理想の生き方ってあれである。文学とか音楽を楽しんで内面の豊かさを重視した生活というのに憧れがある。そして、それで感じたことなんかをブログで誰かと共有できたりしたのなら、僕的には十全かなと思ってる。