超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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文章を毎日書き続ける事でたどり着く境地を見てみたい。

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文章を毎日書き続ける事でたどり着く境地を見てみたい。

またしてもブログ論。


ブログを書くのはなんでだろうね?と考える。僕も最近、1600日連続更新記録を超えたのだが、これは辞め時を見失っただけとも言い切れる。僕は死ぬまでブログを続けると嘯いているけども、実際の所、どこかのタイミングで毎日更新はやめるはずであり、それはどのタイミングなのか自分でも分からない。ブログを書く理由を考えるのは何周目だろう? 滅多矢鱈にブログ論ばかり書くのはなんとなく素人臭いなと感じた。かと言いつつ、またブログ論を書いてしまうのだが。


大体もう、1000日以上も連続更新してしまうと先行者になるモデルケースもなかなか居ない。僕はネットの活動のモデルケースとして3人ほど目標にしている人が居る。倉下忠憲さんと読書猿さん。あと、糸井重里さんだ。3人共、ネットの活動を長く続けている人たちだし、有意義な文章を主体的に書き続ける事が出来ている人たちだからだ。


このブログの狙ってるポジションとしては、糸井重里さんの「今日のダーリン」みたいに滋養のある文章を毎日更新で20年以上続けてしまう事である。やっぱり糸井重里さんのエッセイというのは群を抜いてる。あのように毎日読ませる文章を書いてしまうというのは、彼はモンスターなのであろう。


自分も毎日更新だけは随分と長く続けているのだけど、別に毎日更新だけなら難しい事ではないのだね。毎日、一文字でも書いて公開ボタンを押せばとりあえず継続日数は伸びていくのである。僕は毎日更新のルールとして2000字以上は書くとしている。しかも、ある程度、他人が読んでも楽しい文章を考えて書いている。


えらくセンシティブな事を書いてしまうこともあるけども、僕はこのブログで書く文章は考え抜いた上で書いている。2000字以上更新ということで、手を抜く時は過去記事から引用ばかりやたら増やしたりして水増し記事を書いたりすることもあるけども、それでも毎日新しいネタを書こうとしている。


なんというか、ブログを書くこと自体はもう完璧にルーチンなんですよ。決まった時間に一時間ほどキーボードをパタパタと叩いて2000字書き綴る。こういうただのルーチンと化して半ば毎日自動的に書き綴る事が出来てしまってる習慣に関して、果たして意味があるのか考えてしまう。ゴールは何か? そういう事を考えてしまう。


要するに、自分は主体的には文字を書く習慣を以て何をしたいのか? それが分からないのですよ。その辺りを考えてまいろうか。

僕は文章書くことが大好きなのですよ。


自分がブログを書くのは、人間としての成熟を求めてやるものという発想が浮かぶ。毎日、内観を眺めて文章化する事は、精神鍛錬に良い。人生の深い所まで味わい尽くしたい。そういう目的で僕は書いているのですけどね。


別にブログを書く目的は人それぞれだろう。最近は金稼ぐためだとか承認欲求のためにブログを書いている人たちにもなんやかんやと言う気も無くなってきた。モチベーションは人それぞれであるし、そこに優劣はない。ただ、金銭目的や承認欲求でブログを書き続けるのは難しい。ある程度長くブログを書き続けた経験で思うだけである。


僕のモチベーションの源泉としては、世界をブログを書く事を通じて深く知る事である。僕の興味の赴くままに、世界で起きているさまざまな事をネットを通じて観測して、それをこちらのブログで自分のフィルターを通じて発信する。それはとても楽しい行いなのだ。


世に居る文筆業のやってきた仕事の中で、僕の書いている文章のようなものは下層の部類に当たるだろう。別に美しい文章表現ができている訳でもないし、何かしら有意義な事を書き続けようとしている事もない。ただ、思いついた事を書き付けているだけである。ブログで書いている文章というのはライブ感はあるかもしれないけど、そういうのはtwitterみたいなSNSの方が、瞬間を切り取るという意味では優れているだろう。


結局、それでも書き続けている理由は、自分のフィルターを通じて見えた世界観を文章にして書き綴る事が楽しいからであろう。


有意義な事を書けなければブログを書く意味はないみたいな言説も以前どこかで見かけた気がするが、僕は自分にとって有益だからこのブログを書いている。このように考えている事を文章にまとめて整理することで生活のクオリティを高めることができる。こうやって毎日更新で積み上げた文章の束は、僕にとっては人生の厚みそのものである。毎日文章を書くことがすでにアイデンティティになっている事であって、そこに他人との相対的な差を見出そうというのは随分とさもしい事だ。僕はこういう事を他人と比べない所で価値観を見出そうと頑張ってる。それが僕のプライドなのかもしれない。

まとめ


僕は死ぬまで書くと嘯いてはいるものの、吹けば飛ぶようなモチベーションをなんとかかき集めて、その日その日綱渡りのように書き続けている。習慣を続けてみて見えた経験が、随分と強い達成感を感じるものだったからだ。なにかやるならば必ず成長があって、必ず右肩上がりで進歩的であるというのも資本主義に毒されてるなーとも思うけどね。僕は自分の価値観で素晴らしいと思うものを書き続けるし、それを声高に主張し続ける。基本的に社会というのは、個人がどれだけ考えを主張しようが無視するものだし、無理やり聞かせようと強い言葉を使うと変なやつとして排斥されるものである。僕はそんな中で、自分の世界観の箱庭を保ち続けるために書き綴りたいのだと思うのだけどね。

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