超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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創作をやるための理由が言語化することができない。

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創作をやるための理由が言語化することができない。

モチベーションを管理しないとそもそも習慣は続かない。


現在、玲と真輝のイラストを描こうとしているのだけど、まーったく集中できぬ。まだラフを描く段階なのだけど、イラストをちょっと書いてはRSSリーダーを覗いたり、twitterを眺めてみたりなどして作業が進まない。こりゃ、絵を描く事にまったくモチベーションが出来ておらんのだなと考える。


最近は独学大全のオーディオブックを買って読んでみているのだけど、独学を成し遂げるためにはモチベーション管理が非常に重要なのだと言うことが分かる。独学をやるということは、誰かが自分の尻を叩いて無理やり勉強をさせてくれる事には期待ができない。自分でなんとか不足しがちなモチベーションを継ぎ接ぎしつつ、やる理由も自分で調達しながら勉強を進めないとならないのである。


自分は、創作に関してもこのモチベーション管理をする手法が非常に使えるのではないか?と思っている。小手先のタスク管理の方法などいくらあった所で、モチベーションが足りてなければすぐに挫折してしまう。物事を成し遂げようと思うのならば、自分の目の前に吊るす人参も、どこかから自分で調達せにゃならんのだ。なんとなく上手い絵を描けたらカッコいい、ぐらいのモチベーションでは如何にも弱い。今回はモチベーション管理の方法でも語ってまいろうかと思う。

独学を続ける動機とは?


独学に限らず、創作だろうがブログだろうが続けるためには動機が必要なのだけど、僕はブログに関しては完璧に行動が目的化してしまい、何のためにブログを書いているかは自分でもよく分かっておらぬ。行動が目的化する所まで習慣を持ってくる事ができたならば、後は勝手に自分が行動してしまうようになる。イラストに関しても、こうやって行動が目的化してしまう所まで走らせれば、後は勝手に作業を進める事ができるかなーとは思う。


しかしながら、自己目的化というのは書くこと自体が目的になってしまうのであり、独学であれば勉強することが目的になってしまうのだけど、これは自分が何のためにその行動をするのかという目的を忘れてしまうのに他ならない。人生全体で考えると、思考の柔軟性が無くなってしまい、他の手段で目標達成できるかもしれないのに視野を狭める事になってしまう。


物事を成し遂げる前に、その目標を成し遂げるだけの志がなければ、行動自体が目的になってしまい、何のために自分でやるのかその理由も忘れてしまう。目的がハッキリしているのならば、目的にたどり着くための方法を何通りか考えることができて、効率の良い目標達成の方法を試すこともできる。

自分の志す目標とは?


自分はブログを書くことにせよ、小説を書くことにせよ、イラストを描くことにせよ、自分を表現することを目標としている。媒体は何であれ自分の思っている所を成果物として表現することが出来たならOKなのである。


なんでまぁ、ブログで毎日何かしらの文章を書いていれば自己表現は出来ているので特に問題は無いのであるけど、それプラス小説を書いたりイラストを描いたりして創作でなにかを表現しようとしている理由は何か?ということになりますよね。


自分の脳内で見えている表現したいものというのは、物語の形を成していたり、うっすらと画像が見えているものだという事が多い。それらの自分の見えている理想のビジョンを具現化したいという事が僕が創作をやる理由だろう。


理由としてはそれでは弱いのだろうか? なぜ、この見えている物語や画像を具体化したいと思うのか、それに対する人生のエピソードが必要なのだろう。幼少期の思い出だとか、そのビジョンに対するこだわりなどをもっと掘り返してみる必要があるのかも。

一体、自分がビジョンの具現化にこだわる理由は何だ?


それが言語化しにくい。子供の頃に寒い冬の夜にぼんやりと見える街灯を模写していた事だとか、言語的じゃない所にモチベーションがあるっぽいのである。それを言葉に変えて固定化して操作しやすい概念に変える事で、モチベーション管理をやりやすい事にできるのだと思う。人生の中で創作をやり始めるエピソードを探り出して、そこから自分が行動している目的を見つけることが、今の自分にはどうしても必要な作業だ。


どうも、創作をやろうという理由は言語的じゃない。細かな人生のエピソードの積み重ねのうちに、自分は絵を描いたり小説を書いたりする人間になってしまったのである。完璧に創作が自己目的化してしまって、何のために創作をやるのかという理由をふっ飛ばして絵を描くことだけを目標にしているからモチベーションがあやふやなのだ。

まとめ


ブログを続けようと思った理由は、統合失調症のリハビリのためと割合目的がはっきりとしていた。そのために続いたのかもしれない。創作に関しては、子供の頃から物語を作ったり絵を描いたりしている人間なので、目標がなんとなくという理由でしか無い。そこの所の具体的なエピソードを探り出して言語化して、概念を取り扱いやすくしておいた方が良いかと思うんだけど、随分とプライベートな私事が多数含まれているようであり、ブログで公開しながらやるべきことでもなさそうだ。


いや、いずれやるつもりであるけど、ブログで衆目に晒せるような硬度の思い出でもなさそうなのだ。言語化というのは気をつけないといけない。へたに言語化すると失われたり、自分にとって危険な領域だったりすることもある。こういうのは軽々しく取り扱える問題でもないな。

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