超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


SPONSORED LINK

「慢」が大きい自分の性格をなんとかしたいよね。

「慢」が大きい自分の性格をなんとかしたいよね。


基本メンヘラだけど頑張って生きてる僕です。どうもこんにちわ。


なんじゃろ、ジョブコーチに相談したけど、基本的に新しい人が入ってきて環境が変わるとこんな感じになるよねーみたいな感じだった。でもって、僕もまぁ「そりゃそうか」みたいに納得しちゃった。僕はどっちかというと属性は人嫌いの方であるけど、あんまり人を恨むのが嫌いというか、対人関係なんかで誰かを恨んで悶々と憎悪を募らせるみたいな状況というのはめんどくさくてすぐに諦めちゃう。人を恨んでも自分のエネルギーばっかり無駄に消費しちゃうし、とりあえず自分の収まりの良い考え方さえ手に入れれば「そんなもんか」みたいな感じで納得しちゃう。人を恨むと自己嫌悪が募るばかりだからね。僕は自分大好き人間なので他人は恨まない。


ひとまず、こういう状況で悩んでますよー、ということはジョブコーチ経由で人事部の部長に報告しておいて、とりあえずストレッサーの同僚にも注意してもらうようにお願いしておいた。本来、こういうのは自分でどうにかコミュニケーションを取ろうとするものかもしれないけど、如何にもこうにも事態がややこしくなりそうであるし、使えるものは親でも使えというのは基本である。僕はコミュニケーション能力が総じて低いなーと感じるけど、まぁ、状況に慣れてきたら今の新しい人が入ってきた状況でもなんとかできるようになるだろう。できれば、新しい新人の人とも趣味か技術の話かで交流を深めていけるようにして、職場で楽に働けるように環境構築はしなければならないかなと思う。どうにも僕は砕けた話とかするのが苦手でね。なんか柔らかい話をしてと言われたら蒟蒻とか豆腐の話をしちゃう。


それはそれとして、メンがヘラってしまって精神状態が消耗している状態というのがあんまりよろしくない。今回、ジョブコーチと話をしたことで懸案事項はなんとかなったかなと思うけど、いまだに神経が張り詰めた状態。先週の週末は4連休だったというのに、休日なのに精神が緊張状態で、睡眠が浅くて大変だった。基本的に僕はものすごく寝つきが良い。布団に入って10分もしないうちにすぐに眠りに入ることができる。しかし、先週末は僕としては珍しく寝る時も悶々と考え込んでしまって眠りに入るのが大変だった。睡眠薬は使わずとも寝れたけど、なんか夢見も良くないし、無意識化に何かしらストレスを溜め込んじゃってるかなーという感じ。今現在も神経が張り詰めてる感じで、気を抜くと不愉快なぐるぐる思考に巻き込まれちゃう。


ちょっと今週の状況を見て、来週主治医を受診するかを判断しておこうと思う。別にそんなことを考えずとも病院行けば良いのではないかー?と仰るかもしれないけど、残りの有給が4日しかなくてさ、来年の4月まではこれをやりくりせんとならんのよ。ちょっと来年あたりにまた温泉旅行とかも行くかもしれないし母親の病院関係で休むこともあるかもしれない。できれば有給は温存しておきたい。まぁ、神経の緊張が治らなければ病院行くしかないけどさ。しばらくは精神に負荷を掛けるようなことは禁物だね。仕事もサボりつつゆるゆるやろう。


追記 20:54

ここまで読み返してみたけど、何を余裕ぶっこいてるんだろうな僕は。よくよく考えてみると、今までの人生で躓いた原因は全部、被害妄想だったよな。こういう危険な兆候が出てきたら有給を出し惜しみしとる場合じゃないやんけ。とりあえず、来週は早急に病院行ってきます。

追記ここまで


ここ数日のブログで読者諸氏にお騒がせをして迷惑を掛けてる。僕自身もいらん気苦労ばっかりして精神状態を悪化させる面倒臭い自分の性格にはうんざりした。どうにも日常的に物事を考える視点というのが暗いというか、考え方がネガティブなのには閉口した。何か自分のうまく行かないことが発生したら、最悪の状況を想像し始めて、一人で盛り上がって爆発して後に残るのは残骸だけというのはこれで何度目だよ。ブログにも僕が盛大に盛り上がって大爆発する事態というのは何度か書いてきたけど、あんまりこれを続けていると心配してくれる人がいなくなるな。


なーんか、性格改善したいなーと思いつつ、仕事をサボりつつ草薙龍瞬氏の「これも修行のうち。」をパラパラとめくっていた。そうすると次のような言葉を見つけた。


プチ修行40 「小さく、小さく」で心を守る

仏教は、実にユニークな対策を教えてくれます。それは「小さく、小さく」という心がけです。小さくとは、決して慢をふくらませないこと。「自分が正しい」「自分がエライ」(優れている)という思いを持たないことです。
仏教では”つつしみ”と表現します。原始仏典に、こんな言葉があります。

「亀が甲羅の中に手足を収めているように、心を耕す者は、身を小さく保っていなさい。身をつつしむ人は、自らを守る人である。外に漏れない(反応しない)心にこそ智慧は宿る」 -テーラガーター/サンユッタ・ニカーヤ他

つまり、"つつしみ”こそが、心の成長に大切だという考え方です。
つつしみは、一般に「謙虚」や「卑屈」に近いものと受け止められがちですが、意味はまったく違います。
「謙虚」や「卑屈」は、「自分はまだまだ」「自分の方が下」という、”判断”を含んでいます。
しかし仏教では「ただ理解する」だけです。自分をいちいち判断しません。上とも下とも判断しなくていい。自分自身にできること、今自分の心にある思いは、ちゃんと理解している。よく理解しているから、偉ぶる必要はないし、相手と張り合ったり、大きく見せようとしたり、自分の正しさ・優秀さをアピールする必要もない。そういう発想です。
自分のことをよく見つめてる。理解している。それゆえに「慢」を持たない-それが仏教的「つつしみ」の意味です。


このつつしみって大事だよなーとつくづく思う。僕がいろんな問題が発生して自己嫌悪に陥ったりするのって、この「自分は正しい」とか「自分は偉い」みたいな「慢」がみちみちてるからだよな。


別に卑屈になる必要はないが、自分はいろんな人から助けられて生きているのであるし、「お互い様」とか「ありがとう」みたいな感謝の気持ちも大切であるよなーと思う。「自分は偉いから周りから配慮されて当たり前」みたいな「慢」の気持ちが自分の中にあるんだろうなーと思う。スキーマ療法みたいな自分の中の言葉を入れ替える練習もした上で、自爆しがちな自分の性格もなんとかしたいよね。

プライバシーポリシー免責事項