超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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純日記っぽいやつもちゃんと書かねばならぬな。

純日記っぽいやつもちゃんと書かねばならぬな。


忙しいな。仕事がバタバタしてしまってブログを書く時間が取れるかどうかも微妙な感じ。こういう日もたまにはあることだろう。


さて、どうしよう。仕事が忙しかったからネタ集めを全くしてない。基本的に今日は火曜日だからジムはないけど、昨日も小説執筆の話を書いたことだし、二日連続で小説ネタというのも避けたいとこだ。


今日は朝も沖縄は大雨であり、那覇市あたりは大渋滞でちょっと遅刻をしちゃったよ。まぁ、今回は自分以外にも遅刻をした人がたくさんいたのでひとまず怒られなかった。この辺り、沖縄の都市計画の重大な問題だと思うんだけど、雨が降ると那覇近辺は大渋滞で全く動かなくなり、30分で着くような道が一時間以上掛かっても到着しなかったりする。


昔から沖縄の方では、鉄軌道を作ろうという話が何度も立ち上がっては立ち消えているのだけど、沖縄南北縦断鉄道は多分無理だろうな。中部のあたりは東西に海まで全部、嘉手納基地が土地を埋め尽くしており、地上での鉄軌道はおろか軍基地なので地下鉄ですら無理な話だと思われる。


沖縄の公共交通機関としては主なものはバスだったりするのだけど、これもなかなかに常用するのはしんどい乗り物なのである。那覇市内を移動するぐらいならモノレールと組み合わせれば問題ないのだが、ちょっと那覇から離れた田舎の方まで移動しようとすると途端に便が減り、乗り換えが極端に難しくなる。


また、沖縄のバスは遅延が常態化しており、定刻から15分後ぐらいにバスが来るというのもザラである。会社の通勤などにバスを使おうと思うと、必然的に早朝始発のバスに乗らないとならないということになる。


この会社に勤め始めた頃は、僕はまだ自家用車を持っていなかったのでバスを使って通勤してたけど、たまにならともかく毎日になると鬼のような拷問である。朝の便だと那覇市方面に向かうバスというのは満員で立って乗らないとならなくなる。東京の満員電車ほどではないけど、それなりにぎゅうぎゅうであり、朝っぱらからかなり消耗する。


僕は、東京に住んで満員電車で通勤するというのは、想像するだけで「無理だ」となる。基本的に、僕は人混みが死ぬほど嫌いである。行列に並んだりするのも嫌いだ。もし美味しいレストランがあるとしても、人が並んでいて混雑してるのなら、まだ近場の吉野家などを選ぶ。


どうも僕のメンタリティ的には都会よりは田舎の方が性格的に向いてるなと思う。生まれ持った性格が「大自然と書物の友」であり、人と集まって何かわいわいと楽しむよりは、一人で海辺でぼんやりと瞑想をしてたりとか図書館から借りてきた本を読んでる方が楽しい。


最近は、コロナ禍の後からは酒を飲むのもやめてしまった。以前は華金なんかにはコンビニで酎ハイやら泡盛を買って、一人で家飲みを楽しんだりもしてたのだけど、コロナ禍の間で酒を飲む習慣が消えてしまった。


たまに内地の方に温泉旅行に出掛けて、地元の地酒なんかを買った時は、たまに晩酌でちびちびとやるのは好きであるけど、酔いすぎると次の日に気分が悪くて寝込んでしまう。どうやら、飲んでいる精神薬とアルコールの相性が良くないらしく、アルコールを摂りすぎると翌日は気分が悪くなる。


コロナ禍以降、必要がなければ飲み会に参加するのもやめてしまった。これは会社で上司と揉めたのも原因である。この会社では障がい者雇用で働いてるけど、別に合理的配慮なんてものは全くやってくれないなと悟った。人間関係の摩擦で苦しんでメンタルダウンしそうな時も、自分で声を上げるまでは全くの放置であり、耐えかねて自分でジョブコーチを呼んだ時もなんとなく上司の上司も嫌そうな雰囲気を出すのである。こういう会社で周りに媚びるのもバカらしくなるよね。


僕は性格的に「人の顔色を窺って気分を左右されるのは無駄」と、自分勝手なところがある性格なのであるが、全面的にアウェイな空気を出されると萎縮ぐらいはする。統合失調症を患っているが、親しい友人にすらカミングアウトしないのはこの辺りの理由である。


マイノリティ側の人間であるが、あんま被害者意識を高めすぎると、社会に対して攻撃的になったり、また過剰に卑屈になったりすることがある。いうべき時には言わねばならぬが、そのタイミングの見極めというのは難しい。


僕は障がい者雇用で働いてる人間としては、割合軽傷で、動ける方の人間だと思うのだけど、そういう動けるタイプの障がい者というのはなかなか世の中にも少ないよなと思う。僕は今後はリモートワークで働くために会社に交渉してみたりとか、できなければ転職したりなどしたいと思うのだけど、そのモデルケースになるような人がいないなと感じる。


そういうモデルケースがないのであれば、結局、自分がやらねばならぬことなんだろうなーと思う。きちんと日常の中でコツコツと毎日働き続けながら、その中で気がついたことをブログで書き綴る。僕が世の中に社会貢献するための方法としては、そんな感じで自分の生活を情報発信し続けるのが良いことなんだろう。


日々の生活の中で気がついた、純日記的なこともちゃんと書いておこうと思った。せっかくネットで情報発信を行うのであれば、それが必要としてる見知らぬ誰かのための役立てば、僕も嬉しい。こうやって日々のブログを書いていく上でも、そういう面でも気を遣うことは必要であるよな。

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