超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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良い文章を書こうと試みることで内面から自分を良くする。

良い文章を書こうと試みることで内面から自分を良くする。


今日はカウンセリングの日だった。大五郎の餌も無くなってきたので近くのショッピングモールで買い物。ついでにミスドでドーナツとコーヒーを楽しんできた。



なぜか知らないけどこのショッピングモールに来るといつもミスドでドーナツを食べている。僕はそれほど甘いものが好きではないんですよ。なのでミスドでも好きなドーナツはオールドファッションだったりするんだけど、今日は蛮勇奮って甘いやつを頼んだら胸焼けがすごい。やっぱおっさんはもうダメだ。最近はラーメンも油がもたれて食べる気がしない。


おっさんトークは別に良いのである。でもミスドのコーヒーって案外美味しいですね。機械で淹れてるものだとは思うんだけど割合良い豆を使ってる雰囲気がした。ミスドではいつもはお冷だけしか頼まないんですよ。でも今回はコーヒーも頼んでみた。うん、普通においしいやん。次も頼んでみますかね。


今日は何を書こうか? ブログは毎日書くものと決めて生活をしているが、生活の中でブログネタを拾う感度を高めておかないとあっという間にネタ切れを起こす。僕はだらしない人間なので、ネタ切れを起こしたのならすぐさま脳内垂れ流しのフリーライティングをやってしまう。フリーライティングでもブログを書くのは困らないのであるが、ちょっと脳内から抽出されるイメージをコントロールするように注意しないとネガティブ方面に暴走を始めるのである。ネガティブな文章は書いてはいかんと僕は何度と無く言ってきたけど、ネガティブな文章を書くと自分自身がダメージを受けるのですね。


ブログを書く時に書く内容はポジティブが良いかネガティブが良いか問題について脳内を整理しておくか。カウンセリングのことでも書こうかと思ったけどもどうにも暗い話になりそうである。僕はメンヘラではあるが根っこの方の精神がオプティミストなのである。どうにも世の中は面倒くさいことばっかりで、気をしっかりと保たないとネガティブなことばっかりが思い浮かんでしまう。そんな中で、転ばぬように歪まぬようにと自分の良心をしっかりと信じて生きる生き方こそが美しいと思うんである。


別にさ、ネガティブなブログが悪いとも思わんけどさ、自分自身でブログを書く時にネガティブなブログを書くと精神にダメージを受けるから「よろしくないな」という事を申しておるのである。僕も昔は露悪主義やらネガティブな事を書きまくってることもあったけど、それで何が得られたかというと何もない。世の中やら自分の内面の嫌な部分が見えるばっかりで愉快な心持ちはまったくしない。メリットとデメリットを天秤に掛けて、害のほうが大きいからネガティブなブログを書くのは良くないと方針を立てた。でもまぁ、ネガティブなブログを書くのは良くないと言ってるけど自分がその方針に従ってまったくネガティブなブログを書かずにいられるか?と問われると心が迷うとネガティブな事を書いてしまうからな。僕は目標としてそういう事を言ってるだけだよ。


攻撃的なブログは良くないものである。人間関係でもそうだけど、対人関係における嫌な記憶というのは誰かに傷つけられたことよりも誰かを傷つけた方が後まで尾を引く。僕程度の零細ブログであれば攻撃的な事を書いたところですぐさまレスポンスが返ってくるという訳でもないので、何書いてもよいのかと勘違いしてた時期があったんだけど、ブログで書いたことってどこでバズったりするか不明瞭な所がある。別にtwitterとかはてブで取り上げられることがバズではなくて、Google先生がネガティブな記事を検索上位に載せちゃってバズっちゃうというケースもままあるのだ。そんだけじゃなくて別に誰からも読まれてないからどうでも良いだろうと思ってた記事が、後々、指摘のコメントやらメールが飛び込んでくることはある。案外さ、人は見てないと思うところをしっかりと見てるもんである。雑に仕事をすると後々自分の首を締めることになりますよ。


自分の内面の恨み辛みを書き綴ったブログも良くないもんである。なんでこれが良くないかーというと、自分のブログの一番の読者って自分自身なのね。つらい気持ちをブログに綴って吐き出して楽になろうということでブログで恨み辛みを書いてるのかもしれないけど、後から自分のブログを読み返してみたときにその時のつらい気持ちが戻ってきてしんどくなることがある。また人間の精神というのは同一性を保とうという性質もあるので、ブログで恨み辛みばかりを書いていると自分の本心というものをネガティブな感情に乗っ取られてしまう。やってみりゃ分かると思うけど、ほんのささいな大したことない事でも愚痴のつもりで大げさに文章にしてしまうと、自分の中で重大事みたいに響いてきますよ。自分の中の感情や感覚を文章にして言語化するのは、あいまいなものを固定化して答えを確定させる事につながるのだ。


だからまぁ、ブログではポジティブなことを書いたほうがよいと書いてるんだけど、こりゃ自分の努力目標ですよ。僕もここ最近、調子が悪いことばっかりブログで書いてますもん。でも最近こういう経験をしているからこそブログをポジティブに書く効能みたいなもんもよく分かりますね。自分を鼓舞するためにかっちょいい文章を書くことがあるんですけど、そうすると空元気であれどやる気が立ち上がってきますもん。「自分」という存在はあいまいなもんで、自分がネット空間に残した文章でも構築される自分のアイデンティティに影響を及ぼすことはあるもんだ。優しい自分になりたければ優しい文章を書くように心がければなることができるし、かっこよい文章を書いていれば内面からかっこよくなることができる。文章を書くことで自分のイメージする自分にどんどん近づいていくのね。だからブログではポジティブな文章を書くほうがよいのである。

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