超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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生きていてごめんなさいと思うことは稀にある。

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生きていてごめんなさいと思うことはたまにある。

ブログを誰に対して書いてるのだろう?


今日は母の日だったので、近所の花屋で花を買ってきて母親とオバーに渡した。まぁ、年に一度のことですし、親でもあるんで労ってやるのが子のつとめでもあるだろう。


沖縄はなぜか午後から急に天気が崩れだし、外では雷雨がごうごうと降り続いている。今日はお休みだけど、特に遠出とかもやる気もしないので、家でのんびりとブログでも書いている。ブログを書くのは楽しいので、こうやって休みの日にじっくりと色んなことを考えつつちまちまとよしなし事を書き綴ってるのも面白い。


とはいえ、特に頭の中で世間様に向かって主張したいこともあんまり無いのよな。いや、これが気になってることなんだよな。なんかさ、僕がブログで綴ってるのは、毎回毎回独り言みたいなことばかりでさ、誰かに届くように言葉を綴るというのをやってないんじゃないか?というのは気になるところだよね。


僕は趣味でブログを書いているけど、ちょっとは世間様になにか役立つようなことを書いてみる必要性みたいなことはあるんじゃない? いや、あんまり精神性が内側にこもり過ぎてる引きこもりみたいな文章は、書いている本人ばっかりが楽しくて、読んでいる人たちは「あー、はいはい」みたいな生暖かい視線で見られているというのは超怖い。


情報発信というのは、すこしは他の人達の視点というのを考えないといかんだろう。僕の「超メモ帳」は、僕が日常生活で感じた色んなことを、思いつくままに何でも書くという趣旨の元で運営されているブログだけどさ、本当に自分ひとりのどうでもいいことしか書いてないブログなんぞ読んでも面白くない。


多くの人がなぜブログのような素人の書く文章を読むのか?と問われるならば、その人の書く文章の中に、「自分もこんな事考えているなー」という共感とか「なるほどこんな視点もあったのか」とかそういう気付きを得るためだよね。ブログのような長期間継続的に書き続ける文章で、どんな人物であるかということを隠すことは不可能で、その人が書いたブログを読めばその人がどんな人物なのかは一目瞭然に分かる。


これは面白くもめっちゃ怖い話で、経験豊富で人間的に面白い人が書いているブログは人柄が伝わって面白いけど、さして大した人生経験もしてなく実績も無い人が大上段に世の中に説教したがってるブログなんぞは、その人物の痛々しさをヲチするために読んでいる人しか居ないだろうなと分かるんですよ。こういう事を書いているけど、自分はどうなんだ?という話だ。いらん経験はたくさんしてきたけど、未だに厨二マインドが抜けておらずしかも意識高い系だ。人嫌いのくせに、いらんおせっかいが大好きで世の中に説教したくてうずうずしている。


人間には「説教したい欲」みたいなやっかいな煩悩もあるらしく、年を取るたびに強くなっていくらしいんですね。僕は、どうにも益体の無いことにいっちょ噛みしている恥ずかしい自分を観測するたびに、生きることの苦しさとか人生の悲しみのようなものが突き上げてくるのを感じる。なんか、自分はそういう老害にはなりたくないと強く願ってるのだけど、ブログを書くということは、そういう欲求を激しく駆動させて駆け抜けていく行為らしく、おそらく僕はそういうなりたくない老害そのものになりつつあるのだろう。


痛々しい人物が書いているブログというのは、萎びたみっともない裸体を、全世界に向けて惜しげもなく晒しているようなものである。世の中の人々は、可哀想な人でもみる視線でそっとしておこうと距離を取りつつ変わった珍獣を眺めているのだ。

まとめ


時折、こういうおぞましいことを想像してひとりでもんどり打ってることがあるんですよ。独り相撲で全世界に恥を晒しているだけならば、いっそブログなんぞすっぱりと辞めちまうかー!とか言うけど、口先だけなので安心してほしい。書きたくない気分ぐらいで書けないやつはブログに向いてない。ブログ書きに向いているのは、特に理由がなくても書くことができる人だ。


いやー、なにか文章を書くにしても、多くの人の共感することを書いてみたいと思うのだが、古びていく感性の中ではすべてのことがけしからんことにしか見えなくなってくるのですよね。せめて世の中の流行をちゃんと観測はしておいて、あまりにもズレた事を言わないように気をつけたいのだけど、元々の基盤がズレまくってるから何を努力しようが無駄なので、与えられた運命を受け入れるしかないだろう。


いいんじゃないですかね?恥はかき捨て世は情け。痛々しさからヲチられるのならば、自分はそれも含めて楽しませてしまおうという覚悟はある。どうせ自分の枠というのは、おもしろ珍獣枠だ。なんでもかんでも書いて書いて書きまくって、ぶち抜けてやるぐらいの覚悟がないとネット芸人というのはやってられない。恥も外聞も捨てて、書きたいことを書きまくろうというのが自分の生き方でございます。かしこ。

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