
人間が書く行為自体はAIでかなり変わるよな。
はい、今日もブログ書いていきますかね。いつも通り、通勤時間の車内で録音して、それをAIに整えてもらう。そんなスタイルがすっかり定着した。録音と編集を合わせても15分程度で1本仕上がる。おかげで、文章を書くことのハードルがずいぶん下がった。
でも、だからといって書きたい気持ちが収まるわけじゃない。ブログの他にも、noteやニュースレター、Scrapboxに日々の思いつきを書いている。平日の仕事と並行して書くには時間が足りない。だから、このやり方が現実的なベストかもしれないなと思う。
まぁ、最近の各媒体の位置付けとしては、ブログでは主に日記を書いている。日々のなかで考えたこととか僕が読み返す用の記録についてはブログを用いている。物書きとして集中したいことについてはニュースレターなどを使ってるので、僕がどんなことを考えてるのか? などに興味がある人はそっちをフォローしといた方が良いかと思います。毎週土曜日には発行してます。
最近はAIを活用して、いろんな作業を効率化している。でも問題は、空いた時間をどう使うかってこと。楽をした分、ぼんやり過ごしていては意味がない。生産性ばかりが善とも思わないけれど、AIにできることが増えるほど、人間は自分の価値を問い直される。だから今は、小説を書くことに力を入れている。
いま取り組んでいるのは、ポストモダンと異世界転生を混ぜたような長編小説。語りや主体といったテーマを扱った、哲学的なメタ小説になっている。これは来年3月のハヤカワSFコンテストに投稿しようと考えている。チャッピーくんとの壁打ちでも、「これ評価してくれるの、ハヤカワくらいじゃない?」と話してた。
僕が哲学に惹かれたのは高校時代。「ソフィーの世界」を読んで夢中になった。倫理の全国模試で98点を取ったのもその頃だ。哲学の面白さは、世界の見方を根本から変えてくれるところにある。概念を知ることで、思考が整理され、物語の構造にも深みが出る。
小説では、キャラクターたちがそれぞれの主張をぶつけ合い、物語が形作られていく。その背後には「語りの主体は誰か」という問いが常にある。そんな構造に踏み込むことで、物語が一段と面白くなる。最近では、自分自身が物語に登場するようなメタな手法にも挑戦している。まぁ、今のうちからネタバレはせんけども、かなり語りと主体の深いところまで突っ込んだやばすぎる小説になったりしてる。なろう系の異世界転生の小説でフーコー・デリダ・ロランバルト・ボードリヤール・ラカンを突っ込んだら、その手の界隈のものを知ってる人は、「やばすぎる」と察するところであろう。ちなみにヴィトゲンシュタインやポパーまで出す。
AIとの壁打ちを通じて、小説の質が一段と上がった実感がある。自分では思いつかないアイデアをAIが提示してくれる。囲碁のアルファ碁や、将棋の藤井聡太くんのように、AIとともに新たな打ち手を生み出すような感覚だ。もちろん、最終的に物語を書くのは僕自身。AIには下書きを任せるけど、文章の責任は全部自分が持つ。
これから、小説の世界でもAIとの協働によって、今までにない作品が次々と生まれてくるだろう。ただ、完全にAIだけで感動作を作れるかというと、それは違う。人間の感性と判断があってこそ、物語は人の心を打つ。
今、僕たちはとんでもない時代に生きている。AIと共に物語を紡ぐ、そんな時代をどう生きるか。まだ答えは出ないけれど、それでも僕は、自分の言葉で物語を書き続けていきたい。