
休日は図書館に行って調べ物をしてくる。
今日は昼間の時間にちょっと書いてみている。午前中は内科に行って高血圧の薬をもらってきた。うちは家系的に高血圧気味で、母親もそれが原因で脳の血管を切っているという経緯があるから、自分も気をつけないといけない。定期的に降圧剤をもらって、診察のたびに先生に体調のことも少し尋ねる。まあ、これも健康管理の一環という感じである。
その後はコストコに寄って、軽く食材の買い出し。午後からは、久しぶりに図書館に行こうと思っている。小説の調べ物で、ポストモダンの語りと主体について何か参考になる本がないか探す予定だ。ついでに副業関係の本もチェックしておきたい。ネットよりも図書館のほうが精度も高く、網羅的な資料に出会えることが多いから、こういう時はレファレンスで尋ねてみるのが一番だ。
思えば昔から、図書館で調べ物をしたり、集中して本を読むというのは、休日のストレス解消法でもあった。何冊かを机に並べて、同時並行で読む。あの没入感がたまらない。今回も、ロラン・バルトの「作者の死」あたりを小説に取り入れようとしているんだけど、ぶっちゃけ自分はそこまでポストモダンに詳しいわけでもない。流れは知っているけど、細かい理論までは把握しきれてない。なので、ChatGPTと壁打ちしながら、なんとか掴もうとしているところだ。
哲学書に関してはさらにハードルが高い。読み進めていて眠くなるとかそういうレベルじゃなくて、もはや何が書いてあるのか分からない。だから、全体を通して読むというより、目次やキーワードで的を絞って読むのがコツだ。指でなぞりながら、該当箇所だけをピンポイントで読んでいくような感じでないと、読み進められない。最近はやさしくて面白い入門書も増えてきたから、そこから入るのは悪くないと思っている。
実は今、SNSを絶っている。その影響もあって、新しい情報を自分から取りにいかないと得られない状況だ。RSSで情報収集したり、代わりにDiscordを使って人との関係を保ったりしている。SNSをやめてみて、確かに性格が穏やかになったし、深い思考ができるようになった。小説執筆の面でも調子はいい。SNSって、百害あって一利なしとは言わないけれど、十利ぐらいはあるのかもしれない。断言はできないけれど、少なくとも今の自分にとっては良い選択だった。
まぁでも、新しい新刊の情報とかはTwitterとか使わんと調べるのは難しいというのはあるんだよね。そこら辺の流行り廃りに鈍くなってるというのはデメリットかもしれない。そこんところは適当にネットで情報を見かけたら、そのピンポイントでSNSで情報を取りに行ったりとかその辺りの工夫も必要かもしれない。
また、ネットの人間関係が希薄になったのも事実だ。だからこそ、こうやってブログで文章をやりとりしながら、緩やかなつながりを保つのが、今の自分にはちょうどいいのかもしれないと思っている。生活の再設計を考える上で、そういう情報の取り方や、人との距離感の作り方も大事だ。
最近は情報発信に関しては完璧にブログとニュースレターとnoteに移行してしまってるからな。それで僕自身は何も問題は感じないのだけど、やっぱりレスポンスの速さとかは気になるところだよな。それで損するのも馬鹿らしいし、なんか他に打ち手がないものかとも考えるものであるよ。
多分自分は、四半期に一度くらいは生活を見直して、何が足りないのか、何を変えられるのかを整理するタイプだと思う。今もその一環で、図書館で色々と調べて、これからの生活をまた少しずつ設計し直していこうとしている。今日もその第一歩。さて、図書館に行ってこよう。