超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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未成熟なネット社会をみて考える事。

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未成熟なネット社会をみて考える事。

twitterの情勢がまたひどい。


こういう事を考えた。



なんか、オリンピックが始まって、かまびすしいtwitterのタイムラインがますますうっとおしくなってきてますよね。オリンピックに賛成だろうが反対だろうがどっちでも構わないんですけど、それをわざわざ人と言い争わないと満足できない人たちがいるみたいです。


僕自身としてはオリンピックはそんなに興味がない。テレビを付けて何か競技がやってれば見るけど、わざわざ見たい競技というのは特にない。メダル取ったりとかはその選手にとってはめでたい事だけど、僕はそれをことさら自分事のようにワイワイ騒ぎたいとは思わない。元々、スポーツを観戦して楽しむという習慣がないのだ。生活の中で暇な時間があれば、読書でもしている方が楽しいと思うインドアな人間である。人の趣味嗜好にまで口を挟む気はしないけど、自分の好き嫌いを他人にぐちゃぐちゃ言われるのは断固として拒否する。


それよりも、オリンピックをやってそれから東京で3000人近くの感染者が出る日が2日連続続いたようだけど、こっちは問題だろう。コレラの感染地域で生水飲むような知れ切った往生をしている訳だけど、次の選挙ではちゃんと現政権には判断責任取らせるべきだろうと思う。でも、こっちはそれをわざわざtwitterで呟いたりして与党の支持者と喧嘩するような暇もないのである。次の選挙で現政権以外の政党に投票して、ちゃんと自分の意見を示せばよいと思っている。


なんかさ、政治と自分との関係を最近よく考えるようになった。僕はアナーキストという訳でもないので、政治なんぞ無視して世の中をぶっ壊せ!みたいなことは言わない。できる事ならばちゃんと世の中に自分の意見をフィールドバックさせて、世の中を良くする方向に動くのが市民としての役割というのは分かる。


でもまぁ、現状のSNSで行われている社会問題に対する議論っぽいものというのは、その発言者が自己顕示欲を満たすために、何かしら短い断言でぶっきらぼうに人々の間の信頼関係を断ち切るような感じである。なんか、世の中のインフルエンサーと呼ばれるような人たちというのは、世の中を快刀乱麻に切り飛ばしたいらしいけど、世の中の複雑な問題を論じるのには本一冊でも語り切れないぐらいに事前の事情を論じないといけない事柄を、極端に単純化された断言で解決することはできないだろう。


以前は僕も拙い言葉で政治に対する意見表明みたいなことを、このブログやtwitterで発言してたことがあるかもしれないが、ちょっと世の中がそういう素人の意見表明で大混乱に陥りつつある情勢を見ていると、ちゃんと熟考してない政治的発言というのは精神的な未熟さを感じるようになってしまった。なるべく熟考して発言したいと思うので、うかつには政治的発言には手を出せなくなった。


どうも、以前、「ネット炎上の研究」という本で読んだ事であったと思うけど、ネットの炎上というのは大多数の人々の民意を表しているのではなくて、極少数のノイジーマイノリティが何回も繰り返し粘着して発言しているのだという。現状のtwitterのトレンドなども、大量のbotによって偏ったイデオロギーが操作しようとしているという話も耳にする。


www.nikkei.com


ネットを観測していて、twitterなんぞで世論らしきものが見えるかもしれないけど、それはアルゴリズムによって自分に最適化された世論であるということはよく理解しておこう。SNSではアルゴリズムを使って、その人と近い意見ばかりが集まるように設計されている。こういうのをエコーチェンバー現象という。SNSを見て、いいねをして、発言を積み重ねていくごとに自分が見える世の中はより狭く、より濃密になっていくのである。こういうビッグデータを使った個人の分析というのはGAFAなどのグローバル企業によって緻密に進められている。例えば、Googleが自分がどのようにネットを使ってるのか分析している結果を知りたいのならば、こちらのGoogleパーソナライズ広告の設定画面を見れば、相当に細かく、正確に自分の属性を分析されてるか知る事ができる。


Google広告設定


世の中の現状って、バベルの塔を作って神によって言葉が分裂させられて大混乱に陥ってる人類を見てるような気分になる。リアルでは出会う事のできない人々と、IT技術を使って気軽に繋がりあう事ができるようになったけども、それによって予想以上に世の中の意見の多様性というのが複雑で、世の中全体を導いていく倫理や哲学が未成熟であることを思い知らされる。

まとめ


老子は理想の国家というのを「小国寡民」が一番良いとした。それぐらいの限られた繋がりの方が、人間という種にとっては心地よいコミュニティを作る事ができるのかもしれない。文化人類学にもダンバー数といって、人間がコミュニティを作る事の限界は150人ぐらいまでであるという理論がある。


このIT技術によってつくられた情報社会は全ての人々を幸せにするには未だに未成熟で、ちゃんとした成熟したコミュニティにはなり切れていない。新しい刺激や混沌を好む人たちなら今の社会情勢は楽しいのかもしれないけど、僕はあまりにも抜け落ちる多くの価値が気になって、社会情勢に乗り切れないでいるよ。

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