ブログで統合失調症のことを書いてるのはこういう理由。
今日はこの後に筋トレである。筋トレもなかなか生活に馴染んできた感じであるけど、結構ベネフィットを感じることも多い。
筋トレをしっかりとやっておくと、精神的な落ち込みを引きずりにくくなるのである。ちゃんと定期的な運動習慣を身につけておくと、メンタルヘルスにも好影響であるらしく、筋トレをやる前と比べると気分の落ち込みが軽くなった。
この辺りのことは、ジョン・J・レイティ氏の著作の「脳を鍛えるには運動しかない!」で解説されているという。これは僕は感想をネットの記事で読んだだけなのでちゃんと自分が読んだわけではないのだが、そのころは運動してなかったので「ふーん」という感じの感想しか持ってなかった。しかし、自分が実際に運動をしてみるとストレス軽減効果がすごいので、こちらの本もちゃんと読まないとならないかな。
僕はどうにも統合失調症の持病を持ってるために、ストレス脆弱性というのが大きな問題。僕と同じ病気の人たちのブログを見ていても、この病気を患ってる人というのはみんなストレスに非常に弱い。日々の中でも気分の波というのが安定せず、調子が悪くなったら休んでしまうなどの症状をみんな持っている。
どうも、僕はこのストレス脆弱性をなんとかしないと当事者がまともに働くことなど不可能だなと思った。今の仕事を始めた時期に色々と自分の体調などを観察してこのストレス脆弱性に気がついてきたのだけど、ちょっとした出来事でもすぐにどん底まで精神状態が落ち込んで、「もうだめだ」と再起不能状態に陥るのである。
そもそもまぁ、統合失調症の世間的な認知というのは、2024年の今でも陽性症状で幻聴妄想を持って正気を無くして暴れるという認識のようであるが、そちらの方の派手な症状というのは向精神薬をちゃんと飲んでればおさまってしまう。
陽性症状については投薬治療で抑えることができるのだけど、それ以上の問題になるのが陰性症状でやる気を無くして引きこもり状態になったりとか、認知機能障害でワーキングメモリが削られてしまい集中力がなくなるなどの症状である。当事者としてはこちらの方が厄介。
あとは、病気の症状以外にも社会的な印象の悪さのようなものも大問題である。僕はこのようにブログでこそ病気をオープンにして語っているが、リアルでは家族以外には病名については話していない。今でもネットの方を見ているとこの病気に対して「家から出るな」だのなんだの罵詈雑言を浴びせるような差別主義者もいるし、余計な気苦労はしたくないのでリアルで公言はしない。
ちなみに僕がブログで統合失調症をオープンにしているのは意図的で、この病気の人間でもちゃんと働いたりとか社会的な活動をやることができるという社会的な認知を良くするための当事者活動的な思惑でやってることである。
統合失調症の人でも、症状はスペクトラム状で様々であるが、僕の場合は相当に予後が良くて社会に適応できてる方だ。しかしまー、症状がひどかった時は、被害妄想のせいで自殺未遂を何度かやって救急車に乗せられたりとか、そのせいで保護室に閉じ込められるぐらいには状態が重たかったので、どうやら僕は陽性症状というのは激しかったが、その後の薬が効いたあとというのは経過が良いらしい。
この病気の症状というのは本当に人それぞれで、全ての人が僕のような感じになるという訳ではないが、現代は非定型抗精神病薬などの開発が進んでおり、症状が軽快化する人というのは増えているという。ちゃんと服薬してストレスケアに気をつけていることで、社会復帰して働くことも可能になる可能性は昔に比べると比較的高い。
僕は社会活動の一環として、こういう病気を持ってる人間から世の中を見た時にどのように見えるのか? ということをブログで発信してみようというのは、このブログの裏テーマである。
今の職場は障がい者雇用の正社員として8年間ぐらいは働くことができてるけど、そのためにはマインドフルネス瞑想や睡眠習慣を安定させたりなどのセルフケアのやり方を相当に工夫している。自分自身のメンタルの状態を把握するためにブログの毎日更新をやってるところもあるし、この病気の人間がちゃんと社会活動しようと思うのならセルフケアにはそれ相応の投資をしないとならない。
そういうセルフケアの工夫の方法もブログ記事として整理したりなどして、メンタルで悩んでる人に情報提供もやっている。それと、このブログに関しては3000日以上も連続更新してたりなどして無駄に歴史が長い。連続更新を始めた初期の頃というのは、まだ病気が残存しており自尊心も低くて露悪的な投稿ばかりしていた。そういう状態からしっかりと社会復帰をするために就労移行支援などに通いながら就職活動してきたログも残ってるので、当事者が社会復帰をする時にどんなことを考えてきたかの生きた記録でもある。
世の中を見ているといまだに障がい者に対する差別意識というのは消えていないようである。その辺りというのは今まで差別と戦ってきた先輩の当事者たちがアメリカの公民権運動のように権利を獲得してきたから、僕はこうやって日向で茶でも飲みながらのんべんだらりとやれるのだろう。
僕は喧嘩が嫌いなのでわざわざ社会の偏見と戦うまではしないけど、こんな感じに病気をオープンにして淡々とブログを続けることが差別と戦うアクションなのかなと思ってる。僕の立場では統合失調症をオープンにするのはあんまりメリットがないけど、ブログでわざとこういうことを書いたりするのはそういう意図である。