ネットの未来は明るいぞ。
今日はこのツイートを枕にして軽く一席打たせてもらおう。
ネット中毒が問題、とかテレビで言うけど、僕は高校生の時から休みなく毎日最低5時間以上、平均でだいたい12時間以上はやり続けて、寝起き1分でネットをはじめ、寝る数秒前までネットしつづけてるけど、全然中毒にならないよ。考えすぎでは?
— けんすう👀@アル (@kensuu) March 15, 2019
けんすう氏がなんか盛りすぎの事いってるけど、僕もわりかし一日中ネット依存の生活をしてきたタイプなのでなんとなく共感できた。目が覚めたら真っ先にはてなブログとtwitterのメンションを確認するし、寝る時もYoutubeかtwitterのTLを眠くなるまで眺めながら寝る。通勤途中もkindleで電子書籍を読み上げさせて読書をしながら車を運転しているので、一日中何かしらネットの影響下にある生活を送っているのは間違いない。
僕のネット経歴的には2ch(ラウンジャー)→2ch(vipper)→はてな(モヒカン族)→ニコニコ動画(東方厨)→はてな(ブロガー)その間、適時mixi、twitterなどのSNS。みたいな経歴を辿りながらここにたどり着いてるので人生の結構な割合の時間をネットでのコミュニケーションに依存しながら生きてきているではある。最近では、日中はふらふらとtwitterとはてブで情報のシャワーを浴びて、夜にブログに今日あった出来事から思いついた事をまとめるという生活で落ち着きつつある。
僕の年代というと、高校大学時代にwindows 95が発表されて、鳴り物入りでインターネットが普及していき、常時接続環境に変わってラグナロックオンラインなどでネトゲにはまり、そのうちiPhoneが出現して爆発的にスマホでユビキタスコンピューティングなネットが入り込む生活が広がっていったという歴史をみてきた。
大体、20年ぐらいでインターネットは生活に欠かせないインフラになった。これから先の生活の中でもますますネットの必要性は増していくだろう。僕が50~60歳ぐらいになった時にネットがどうなってるのかは想像もつかない。AIだとかVRだとか大体の方向性みたいなものは見えてきているんだけど、ちょっと前にGoogleグラスみたいな眼鏡型の情報端末が一瞬だけ流行ったけど、あれはもう一回流行るんじゃ無いかなと思う。電脳コイルみたいな世界はまぁこの先10年ぐらいでは生まれそうである。
絶対、その先は脳とインターネットを直接コネクトしてしまうような攻殻機動隊みたいなサイバーパンクな時代に突入していくんじゃないか?と想像している。どーなんでしょうね。脳にインプラントを埋め込んで電脳世界にダイブするような技術が生まれたら、僕は真っ先に始めてどっぷりと電脳生活を満喫したいなと思ってるよ。スマホなどの流行を見ていると、絶対人類はネットと脳の常時接続を実現しようとするよ。
なんとなく、近未来を想像するとブレード・ランナーみたいなディストピアになりそうな気がするが、1995年のwin95の頃にはスマホを使ってユビキタスコンピューティングが実現するとは想像もしてなかったものだ。でも、アラン・ケイのダイナブックの概念でそういう未来は想像されてたんだよね。
わりかし、情報化社会の未来は面白い気がするぞ。老後は電脳世界で遊ぶために、精々、資産運用に精を出すとしよう。
今日の徒然
んー、朝は雨が降っていた。週三のランニング未達。ほんと、雨降ってる時のランニングはどうしようって感じ。これはまぁランニングブログの方にも書いてあるけど、雨の日はきっぱりと休むことにした。
お仕事お疲れモード。金曜日はもうくたくたである。それはそれとして毎日のブログは鉄の掟なのだ。
最近なー、日常生活にしてもマンネリだし、あんまブログで書くほどの事も無いなーって感じ。朝、ランニングに行って、昼、仕事をして、夜、ブログを書いて寝るの繰り返し。日中、仕事をさぼりながらで巡回しているtwitterで適当になんかいいネタが見つかったらブログに書くネタも見つかるんだけど、さすがに仕事サボりすぎるのは社会人としてどうなの?って感じなので、周りの目を気にしつつ恐る恐るネットは巡回している感じなのである。
今日は軽く、名言でも取り上げて生活を振り返り総括してしまおう。
思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。
人間の運命なんてものは日頃の生活ですべて決まってしまうものなのである。こまかな生活習慣の一つ一つを丁寧にこなすように生きていれば、それなりに満足感が得られるし、考え方まで変えてしまう。マザー・テレサのこの言葉で分かることは人間の性格というのは行動や言葉が先なのである。
だから、自分で自分を省みて恥じることの無い行動をせねばならぬと僕は思うのである。よしもとばななは文章を書く上での練習で次のような言葉を言っている。
「旅行に行って10日ぐらい書かないことはありますけど、そうすると10日分へたになったなと思います。ピアノと一緒なんでしょうね。書くというベーシックな練習は毎日しないといけません」(よしもとばなな)
生活にせよ一緒だ。たまに羽目を外すぐらいならばいいが、ベーシックな基本動作をおろそかにしていたらそのうち全体のタガが外れる。きちんと、丁寧に毎日の生活を送ることが幸せな人生のために重要なのだろう。