超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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苦しい時に人生の意味とか考えるもんじゃないです。


苦しい時に人生の意味とか考えるもんじゃないです。


調子が(以下略。 いや当ブログの常連読者の皆様方ならとっくに慣れたもんだろう。ここんところの体調不良は病膏肓に入ってる。なんか、いかに僕がメンヘラであると言えども毎回毎回ブログの冒頭で体調不良を報告されると気が滅入ってくるだろう。他の斬新な冒頭文のアイディアを練ってみたい。だがまぁ、僕のブログは日記がわりでもあるもんだし、多少の近況報告があってもよろしいのではないかと思ってる。実際のところ、僕は日記ブログがめっちゃ好きだし自分でも地に足がついた落ち着いた感じで読めるような日記ブログを書いてみたい。それにしたって、毎度毎度体調が悪い事ばかりリマインドしているようでは、ブログを書くのも気が滅入ってくる。いい加減、この虚弱体質はどげなせんといかんですな。


一応まぁ、体調に振り回されないように生活の中で色々と取り組みをしていることはあって、最近はサボりがちだけど週に3回程度の筋トレをやってたりだとか、毎日家に帰ってきたタイミングで瞑想をしてたりだとかしている。その他には夜は15分程度足湯に浸かったりだとか、養命酒を飲んだりとかもしている。効果の程はよく分からんのだけど、なんとか今までメンタルダウンもせずにやってこれたのはこの効果が蓄積して程々に効いていたのではないかな? まぁ、先週は体調回復のための睡眠強化週間を送っていたので、今週も引き続き7時間睡眠の生活を続けて精神状態を回復させようと思う。


今日は朝に通勤するために車を運転している時に、人生の無意味さみたいなことを考えてしまってヤバかった。基本的に僕はオプティミストの方なのであんまり深刻なことを考えないような精神構造に生まれついてるのだけど、真面目に考えると僕の人生の理不尽さというのはクソゲーレベルだ。ちょっとまぁ、詳細を書くのは書いてて傷つくから自分のメンタルを守るために書かないけど、世間一般の人生のレールには乗りたくても乗れなくて、いろんな物事でドロップアウトするような人生を送ってきている。ほんと、そんな人生を送ってきているので真面目に人生とか考えてしまうのはまずいのであり、この問題を真剣に悩み始めると一発で病み始めるのでさっさと思考停止してネットサーフィンでもしてた方が幾分精神安定にも良いのである。僕が尊敬するカウンセラーの河合隼雄氏も言ってるけど、「真面目も程々に」しないとならんのだ。


なんかさ、人生の無意味さを考えてしまった理由があった。人事制度でそろそろ中間審査が始まるのだけど、それで人事考課の書類を書かねばならんのよ。なんかさ、今4半期の僕の評価って多分最低ラインじゃないかなー?みたいな想像というか妄想みたいなもんが発生していて、今、ものすごく、その人事考課の書類を書きたくない。


ここ最近に入って、元上司の同僚にいじめられてるんじゃないかという被害妄想を発生させて、それで自分の待遇改善案の書類まで書いて上司に提出しようとしたりだとか、業務で限界を感じてしまって人事部の障がい者雇用の担当に泣きついたりだとか、客観的にみても会社からの評価やら信用やらは地に落ちてるんじゃないかと思ってる。別にそんなもんは他人の評価だし気にしたところで仕方ないというのは分かってるんだけど、メンタルの調子が悪くて不安がキツイ現状では仕事での自己評価も低くて、自分の評価を客観視する作業に向き合いたくない。


こんなもんでメンタルの調子を乱高下させていることからも分かるように、今は自己評価が揺らいでしまっていて、自分に対する自信というのが持てなくなっている。こうやって文章に書き出しているのは、なんとか心中の不安感とかを外在化させることで客観視して、普段通りの平穏な気持ちというのを取り戻したいと考えているからだ。人事考課の書類も今日は書けなかったけど、なんとか明日にはまとめてしまって上司に打ち返しておきたい。別に仕事での評価が低いからといって人間性まで否定されるようなものでもないし、僕は今まで仕事である程度実績は上げてきているからいきなりクビということもないであろう。


なーんかさ、それで通勤していた時に考えていた人生の無意味さみたいなもんに繋がるんだけどさ、僕はたまにバリバリ仕事ができたりする人の姿を見たりすると、すごい嫌な気分に襲われたりとかするのよ。人に対する嫉妬心だとか自己憐憫の気持ちなんぞ、適当に距離を持って取扱いをせねばならぬ要注意の感情であると大人なので自覚はしている。だけど、それで自分の身の上とかを振り返ったりすると恐ろしいほどの空虚さで闇堕ちしそうになる。


現在の体調不良の調子ってこんな感じであり、真面目に考え始めて気持ちや思考までシリアスになり始めると洒落にならんのである。今は思考のリソースがまだエンプティにはなってないからマイナス思考とは距離感を取れてるけど、疲れてくると心痛に思考を乗っ取られる。思考のリソースに余裕さえあれば、わざわざ苦しい身の上なんぞを考えて人生の生きる意味なんぞ考える余地もなくなる。じゃリンコチエのおばあはんの言ってることだけど、「ひもじい 寒い もう死にたい 不幸はこの順番で来ますのや」というのは真理である。


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苦しい時はカロリーの高いもんでも喰って睡眠時間でもとってじっくりと体調を癒す方にリソースを使えばよろしいのである。心痛で苦しい時に人生の意味だとか苦しいことを考えれば碌なことにならない。物事はなるようになるし、なるようにならないことはその時になって考え始めればよろしい。

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