超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


SPONSORED LINK

自分の堅く信じる信念に従った行動ができるようになりたいものだ。

f:id:yuki_2021:20180912135404j:plain:w300


眠し。春眠暁を覚えずとはいうが、今の季節も中々いい温度だ。眠りに落ちると起きられないというかさ、なんというか朝5時に起きそこねたんだよね。現時点で6時ぐらいなので、実際に本文を書くのは仕事中に目を盗みながらになるだろう。


最近、自分の文章に自信を持てなくなってきている。なんってかさ、惰性でアウトプットしているだけになってる気がするんだよね。ちゃんとした質量のある文章になっているかは心配。なんかさ、最近アウトプットが怠惰になってるんだよ。物事や人をみてその質感というかクオリアは感じることができるんだけど、それを言語化するのをサボっている。なんとなく書けるいつもの手なりの文章で適当に2000字書いているだけだ。心の深い部分にたどり着けているのかよくわからない。


大体、このブログは毎日朝4時から5時頃にかけて、その時考えている事を適当に殴り書くという趣旨のもとで行われている行為なのである。ちゃんと思った事を書くならば朝よりは夜のほうが断然良いのだが、時間の都合上、朝ブログをやるようになっている。朝ブログは気持ちいい。書き終えておけば、その日一日をいい気分で過ごすことができる。


ブログを書くルールとして一日2000字というのを厳守しているんだけど、一体、これが正しいことなのかというのは今でも疑問である。僕は毎日ネットに文章をアップしているということで、ほぼ日刊イトイ新聞糸井重里さんに親近感を覚えているのだけど、糸井さんにしても一日1000字程度だ。


本当にこころの深いところにたどり着く文章を書くのならば、適当に手なりで書くのではなく質を高めた深い文章を書くべきではないのか?みたいな疑問も感じてはいるんだけど、僕は典型的な修行バカなのだ。感謝の正拳突き一日一万みたいな型にハマった修行が好きなのよ。徹底的に同じフォームの素振りを繰り返しているうちに凄まじい速度の動作ができるようになってるってシチュエーションが好きで好きで・・・・・・。だからこのブログの書き方にしてもおんなじ書き方を一万回やってれば一万一回目にとんでもない破壊力の名作が生まれるのではないかと思って、毎日の更新を欠かさないのである。


こんな感じだけどこれからもよろしくおねがいします m(_ _)m


今日の本題は昨日のtwitterで気になった言葉を軽くキャプションつけながら紹介しよう。



非常に強い言葉である。真意の価値まで他人の評価に依存していたら、自分なんてものはどこにもないだろうという風な言葉だ。こういう風に強く生きたいとも思う。


このテストステロンさんはこんな感じの言葉を好んで使うね。筋トレに関する金言もいろいろと話すが、僕はこういう自己肯定感の強度に関する言葉が好きだ。筋トレをすると自己肯定感が支えられてうつ病なんかが治るとは巷の噂で流れている。筋トレに関してもいずれやっていきたい。


こういう、他人の評価ばかり気にしてたら自分の人生を生きられないというのはユダヤ人の言葉でもでてくるね。

「自分が自分のために自分の人生を生きていないのであれば、一体、誰が自分のために生きてくれるのだろうか」というユダヤ教の教えがあります。どんなことをしても自分のことをよく思わない人はいます。10人の人がいれば1人はあなたのことをよく思わないでしょう。10人のうち、7人はその時々で態度を変えるような人です。

一方、残りの2人くらいは何をしてもあなたを受け入れてくれる人になってくれるはずです。あなたはその「2人」と付き合っていけばよいのであって、残りの8人、とりわけ何をしてもよく思わない1人のことで心を煩わす必要はない。それより大切なのは、自分が自分のために自分の人生を生きることなのです。

人目や他の人からの評価を怖れないために必要なのは、他の人の人生ではなく、自分自身の人生を生きる勇気です。

どうしたら「人目」から解放されるか-10人いればそのうち2人と仲良くできればそれでいい:日経ウーマンオンライン【アドラーに学ぶ 人と人の間のこと】


「人生の9割ぐらいは他人との関係性で決まる」というエントリーで僕はこう締めた。


www.ituki-yu2.net

確かアドラーだったかと思うんだけど、人間の幸不幸は人間関係で決まる。人生のストレスの大半は人間関係だ。人間関係ってのは縄の引き合いみたいなもんなんだけど、その片方を握っているのは自分だ。相手に引っ張られるだけでもいけないし、こっちが引き倒してもいけない。人生の主人公はあくまでも自分だ。人は人、自分は自分、されど仲良き。ってことだ。


人生というのは人と人が関わりながら織りなしていく物語のようなものだが、最終決定権は自分にある。自分がこれで良いと思うのならどんな愚行であれ良いのだ。逆に自分の意見がないのなら、どんなに優れた行いであっても自分の行動とは呼べん。我々は真意を持ちつつそれぞれ生きる。自分の人生の決定権を誰にも譲らずにきちんと人生を生きてください。


毎日わずかでも結果を残すためにブログ書いてます。 - 超メモ帳(Web式)@復活
【質問への回答】失敗を恐れるネガティブな感情だって人生には必要な要素なんです。 - 超メモ帳(Web式)@復活
村上RADIOを聞いたのでその感想を語る。 - 超メモ帳(Web式)@復活

プライバシーポリシー免責事項