超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。

人生の成果と幸福感は必ずしも一致しない。

人生の成果と幸福感は必ずしも一致しない。


沖縄は梅雨の終わり頃のしつこい雨だ。今日も車通勤をしながら音声入力で叩き込む。昨日は、台湾旅行のためにパスポートの申請を自宅でやった。最近はマイナンバーカードのおかげで、パスポートの申請が自宅でできるようになったんだよね。これ、申請が通ったら後は役所に受け取りに行くだけで済む。以前はパスポートを取るために、沖縄県庁まで足を運ばなければならず、数日有給を取らないといけないから、これは本当に時短だと思う。こういう部分で、役所の手続きがずいぶん便利になっているなと感じる。


ただ、まだまだ紙書類がはびこっている組織も多く、印鑑ラリーのような日本らしい非効率な部分も残っているのが現状だよね。とりあえず、パスポートを手に入れたら、次はホテルを決めたり、チケットを取ったり、旅行の準備を進めないといけない。急いで全力疾走で突っ走る感じになるだろう。


月曜日、ジムで60分ウォーキングをしながら『残酷すぎる成功法則』という本を読んでいる。



そこで興味深いのは、成果と幸福感は必ずしも一致しないという点だ。成功すれば幸せになれるかというと、そうではない。反対に、成功を追い求めることで犠牲になるものも多い。それは人間関係や休暇といったものだ。


本の中で紹介されていたある選手、ベイブ・ルースと並ぶと評され野球の殿堂入りしたバッター、テッド・ウィリアムズの話が印象的だった。彼はバッティングに人生の全てを捧げた努力の天才だったらしいが、その代償として家庭生活はめちゃくちゃだったという。アインシュタインもまた、業績を残すために家族を犠牲にして一日中考え続けた結果、家族からの信用を失ったという話があった。彼らは業績を残したが、それが幸せだったかというと、そうではないだろう。


今の時代だとイーロン・マスクが思い浮かぶ。彼は世界一の金持ちだが、家族関係は混沌としていて父親とも絶縁してるし、子供とも揉めている。自分からは全然幸せそうには見えない。歴史的に大きな成果をあげようとすると、対価で必ず何かが失われるらしい。そして高齢者へのアンケートで「人生で後悔していることは何か」と尋ねると「あんなに真面目に仕事をやるんじゃなかった」という答えが上位に入るという。成果を求めて働き続けても、必ずしも幸せにはなれないというのは、ここからも明らかだ。


幸福感を得るには、適度な人間関係や休暇、ワークライフバランスが重要だ。だが、仕事を適当に手抜きして休み過ぎると、成果は落ちる。どちらがマシな人生かを考えた時、結局のところそれは個々の選択にかかっている。


僕自身の人生を振り返ってみても、ハードワーカの一面がある。仕事や趣味、プライベートでも全力で突っ走ってしまう。趣味で成果を出すことに集中しているけど、実際に自分が出している成果って何だろうという疑問もある。ブログを書いてはいるけど、大して注目されているわけでもないし、幸福感をどう感じるかを考える必要があるのかもしれない。


セルフコンパッションという、自分を認めることが大事だと言われている。僕も自分がやれることを認めて、適度に人間関係を充実させ、幸せな人生を送る努力をするべきだろう。成果と幸福感は一致しない。それは重要な考え方だと思う。僕自身は、仕事で成功を求めるよりも、休暇を大切にする方がいいかもしれない。突っ走ることが楽しいから、苦しいと言いながらも幸せだと感じることができるのかもしれない。


人間関係で幸せになれるかどうかは分からないが、適度にぼちぼちやっていくのがいいんじゃないかなと考える。成果を求めることと幸福感を求めること、そのバランスをどうとるかが、幸せな人生の鍵なのだろう。どちらも大切にしながら、自分自身のペースで進んでいくのがよろしいと思う。