超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。

新春早々、幸せとはなんぞやと考える。

新春早々、幸せとはなんぞやと考える。


正月3が日の最終日。気分は虚無。


やはり、昨日の親戚の新年会で酒を飲んだのが良くなかったらしい。朝から気分が憂鬱であり、何かに対して怒ってるらしいのだけど、その対象がはっきりとわからんのだ。


今日は朝からサウナに行ってきて、そして帰りにスタバでニュースレターを書き、そして家でブログを書いている。


正月は社交が必要なイベントが集中するのが嫌だ。人と会うだけで気力を消耗して、そしてその回復のためには自分一人で好き勝手なことをやる時間が必要になる。僕はおそらく軍隊のような共同生活は無理である。


とりあえずは明日まではひとまず休みである。とはいえ、明日の休みは予定があるのだが、それが終わればフリーなので、どこかにこもって一人で何かをやろうと思う。また、適当に簡単なイラストを描くのでもいいし、未完成の小説を仕上げるのでもいいだろう。


長かった8連休の正月休みも残り一日であり、これが終われば納期が近いプロジェクトのために、連日フルスロットルの日々が始まる。というか、朝はいつも9時ごろに起きてるけど、仕事が始まればまた5時起きである。


なーんかさ、僕は色々と嫌になった。しかし、何が嫌なのかさっぱりとわからんのだ。脳の癖で嫌だ嫌だと気分が騒いでるだけであり、特定のストレッサーがなくても脳は嫌だと喚くのである。


泣こうが喚こうが休みはあと一日であり、これが終わればまた仕事に時間拘束される日常が始まる。しかし、今の僕は何もできない自由時間にもうんざりしている節があり、仕事が始まった方がかえって何かしらの創作が進む可能性がある。


無理に気分を晴らそうとしなくてもいいかもしれない。今日はひとまずサウナに行ったので、これでも無理なら無理である。とりあえず、明日は自宅にいると寝てしまうので、適当なカフェにでも行ってきて、適当に書き物なり読書なりをしてこようと思う。


時間があってもダメでなくてもダメ。じゃあ、お前はどうすれば満足なのだ? と問われるかもしれないのだが、そんなのむしろこちらが問いたいよね。僕は思い返してみても、人生で真に充実した時間なんぞなかったような気がするぞ。


まぁ、逆説的に考えてみると、満足したらもう人生もおしまいなのかもしれない。色々とぐだぐだと不満を抱えながらあたりを走り回ってるから人生なのであり、これが納得できる回答が出てしまうと、そこで終わりであり、停滞して何も残らない。


人生の幸せってなんだろうね? 何かしらの目標を立てて、それに走っていたら幸せなんだろうか? 村上春樹さんのいうところでは「小確幸」であり、小さくて確実な幸せのリストを長くすることが人生を幸せに生きるコツらしい。


おそらく、僕のように何かとぐちぐちと愚痴が多いタイプは幸せになれないのだろう。自分の納得できる幸せというのは、自分で用意するしかなく、これを他人や環境に求めていると永遠に満足はできない。せっかく僕は色々と趣味が多いのだから、それを満喫してる時の幸福感にフォーカスを合わせるべきであろう。


人間以上の超知能に「人生、宇宙すべての答え」を問いただしてみると「41」とか答えが返ってくるだけであり、自分の主観の中にそういう問いの地図を持っていないと、正しい答えでも納得は得られない。これはAIとかでも一緒であり、彼らは持ち主が質問する以上の答えは返さない。


じゃー、人生にどういう問いを投げれば納得できる答えが得られるのか? というのなら、「自分で動け」と言われるような気がする。少なくとも自分の人生経験で得られた答えはそうだ。ならばまあ、自由時間があるのなら、ひとまず自律的に動くふりをする。虚無感を振り払うにはそれかもしれない。

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