超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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僕が毎日ブログを書く理由は幸せになりたいからさ

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ブログを毎日書くという生活をしていて一番困るのが書く気力が無い時だ。僕が一番好きなエッセイストは誰かと聞かれた時に椎名誠と答えるんだけど、シーナさんが凄いのは大量にエッセイを書いているのにハズレがあんまりないという事だ。


シーナさんのエッセイというのは基本的には、どこかに旅にでて酒を飲んで仲間たちと焚き火で騒いで日本文化にお小言を言う、という内容である。大量のエッセイ集を出しているんだけど内容的にはいつもワンパターンなんだ。だいたい内容は上記の感じでどこの国に行ったとかどこの島に行ったかというのが違うだけ。それでもいつも面白い。これはどういうことなんだろうなと思う。なんというか僕の憶測だけどシーナさんの面白さは、旅作家としてのライフスタイルが完成している事。文章を書く上での姿勢とか覚悟がきっちり決まっていることなんだろうなと思う。無論、文章なんかはプロの作家なのできちんと読者を楽しませるスタイルなんだ。でもエッセイのテーマ的にはマンネリズムを極めているってかんじ。いつも決まった視点から定点観測で書いている。だけど、東日本大震災などの社会的なイベントがあったときには、きちんと自分なりの視点からの意見を書いてくれるのよ。多分、シーナさんのエッセイのファンというのはシーナさんの思考パターンが好きだから読んでくれているんじゃないかと思う。文章を書く者としてはこのレベルのファンができたら大成功していると言える。何を書いても好きだと言ってくれるというファンが居るということだからね。ブログでも極めたらこの域に達すると思うんだ。内容的にはマンネリなのにこの人が書くと面白いって感じ。


文章で情報の新しさとか視点の斬新さを売りにしているうちはまだまだだろう。もう、人格的に完成した書き手の文章というのはそんな事を気にしなくても面白いと思える枯れた文章なんだと思う。表面上の文章の面白さだけでなくて、思想の奥深さで読者を引っ張り込むというのが出来たら完成形だろうな。これは人生経験も関係してくることなんだ。ただひたすら文章を書いているだけではたどり着けない境地である。シーナさんの場合は本当に世界中を旅しているってことが強みだ。本当に世界を経験しているってのが思想の深みになっているんだろうな。シーナさんの年齢は72歳になっている。もう老年期と言える歳だろう。それでもずっと旅をし続けてエッセイを書き続ける人生を続けている。旅作家というものを極めた人生なんだなと僕は思うんだわ。僕がやってみたいと考えるのもそんな文章を書くことを軸にした人生なんだわ。


さて、そういった意味で毎日ブログを更新し続けるってのが僕のライフスタイルの示し方なんだわ。僕が文章を書く理由はこんなシーナさんみたいな極めた人生を送りたいってことさ。テーマはその場で思いついたことを即興的に書くという事を毎日やっている。これは結構めんどくさくてね、忙しくなってきたら毎日更新は難しいだろう。だけど、余力がある時にエントリーを書き溜めておいて予約投稿でお茶を濁すってのもなんか違う気がするんだ。その場の瞬間の思考をスケッチ的にエントリーとして書き上げて投稿するってのが重要なんじゃないかと思い始めてる。ただ書くだけではなくて文章を書く上でも気をつけていることがある。


僕が座右の書としている一冊にアランの「幸福論」がある。この哲学者アランの思想ってのは僕が理想とするスタイルかもしれない。


アランの幸福論はプロポ(断章)と呼ばれる短いコラムで構成されている。新聞に投稿していたコラムを友人が一冊の本にまとめたことで幸福論は成立した。アランは行動する哲学者だった。社会的な事件に対して、新聞社に手紙を送って、世間に対する意見を記事にする人であった。その意見はポジティブで、現実的に生きることに対する具体的な内容の哲学だった。僕が好きな一節を紹介しよう。

悲観主義は気分のものであり、
楽観主義は意志のものである。
およそ成り行きにまかせる人間は
気分が滅入りがちなものだ


悲観主義は気分のものであり、楽観主義は意志のものである アラン − 名言から学ぶ幸せのヒント


気分に任せて生きるってのは落ち込んでしまいがちなんだ。だからさ、アランが主張する所では「上機嫌を練習する」ってのが重要な事らしい。自分で意識して上機嫌になるコツを見つけるのが彼の幸福論の趣旨である。


僕が毎日ブログを書く上で気をつけていることはアランのこの警句なのよ。文章を書くということは自分の内面に沈み込むという行為なんだけど、これはふとするとマイナスなことばかり書いてしまいがちなんだわ。だから第三者に向けて書くというのが優位に働く。ブログみたいに誰かに読まれる文章というのは、読んだ人を楽しませなければならないという意識が働く。他人を楽しませるためにはそれなりに理性を使わないといけない。愚にもつかないドロドロのネガティブ思考だけのエントリーってやつは読んだ人が不快になるだけですからねぇ。ある程度、ポジティブな解決策を必ず提示しないといけなくなるのさ。僕がブログで文章を書く理由ってのはこういった「上機嫌を練習する」場所として使える為ですね。

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