超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。

ブログを書くうえで大事なルールと「おもてなし」。

ブログを書くうえで大事なルールと「おもてなし」。


今日は文化の日で休みのはずであるが、弊社はいつも通り公休日は仕事である。大層腹立たしいのだが、食い扶持を稼ぐためには仕方ないので働きに出ている。


昨日はサウナに入ったけど、朝は思考が発酵状態であり、もやんもやんと不愉快感が膨らんだ状態。仕方ないので、今日はブログはあくまでも適当に事実のみを記述するように気をつけたいところ。


内省のしすぎが問題であるとは、僕自身も自覚してるけどこれがまぁどうにも治しようがない。どうも、これはドゥームスクローリングの一形態のようなものかと思うのだが、不安な気持ちになった時にソーシャルメディアのスクロールをする代わりに、ひたすら内面を掘り下げたテキストを書いてしまうのである。


これを自分のローカルのメモ帳の中だけでやっておけばマシなのだが、ブログで書いてしまうというのが度し難い。何度となく僕のブログのブログ論でも述べてきたが、悩みを悩みのままに不特定多数が読めるところに書いてしまうと、それが自分の内面に固定化されてしまうことがある。


なんでまぁ、僕の場合にはブログで書くことには必ず建設的でポジティブな結論をつけるように気をつけてるのだけど、いっぱいいっぱいの時には大変なのである。大抵、思考のせいで認知は歪みまくってるし、自分ではポジティブなつもりでも凄惨さが滲んでたりするので読後感がそれほど良くない。


僕がブログを書くときに気をつけてることであるけど、「自慢話はするな」と「笑い無くしてエッセイは書くべからず」とか、いろんなことを気をつけながら文章は書いている。


ブログという媒体の文章の特徴というのは何か? と僕は分析もしたりするのだが、「自分語りを他人が読んでも面白い文章」にするのが良いブログの特徴だろう。ブログというメディアは誰でも自由に書くことができるから、何を書いても良いのだが、それでも不特定多数の目に晒される文章には一定の流儀が必要になる。


気持ちよく文章を書くのは良いのだが、それが自分だけ気持ちいい自慰行為になってはならない。「自慢話をするな」がこれなのだが、他人の手柄ばなしというのは、話してる本人は面白いものであるが、聞いてる他人は大抵「はいはいそうですね」とめんどくさそうに相槌を打つだけである。


これが歳をとって流動的知性が減ってきたお年寄りには多いのだが、自分の頭の中にある面白い話題というのが自分の武勇伝だけになっており、何度話を聞いても語り口を変えた自慢話というのもよくある。相手に寄り添う気持ちのない一方的な文章というのは、読んでもつまらないものだ。


「笑い無くしてエッセイは書くべからず」はこれはかつて「恨ミシュラン」という西原理恵子が漫画を描いてるグルメ批評エッセイで読んだ言葉なのだが、読者が楽しんで読みにきてる文章で顰めっ面をしながら正論とか知識ばかりを押し付けても仕方ない。


エッセイとかブログに関しては、読者はこれを娯楽として読むために来てるのである。ここでどうでもいい自分語りでもそうであるが、それを読者を楽しませる芸になってない素人の文章というのは読むのは辛いものだ。


自分の中にある語りたい出来事を、いかにして読者の感情を揺り動かす形で提供するかは、書き手の腕の見せ所である。その中でも、「笑い」というのはポジティブな読後感をもたらし、読者がまた読みたいなと思わせる感情である。


なんでまぁ、自慢話をするにしても適度な諧謔や自虐が必要であるし、自虐のやり方にも芸がある。読み手が不愉快になるまで自分を落とすのでもなく、かといって鼻がつくほどの自慢話にならないためにはバランス感覚だ。ブログというのもコミュニケーションの一形態だからね、結局、中庸の感覚が必要なのであろう。


なので結局のところ、ブログで書く文章というのは他人が読むことを前提とした「おもてなし」の感情が重要なんでないかなと僕は思うんである。ブログってのは自分語りを面白く読ませるための媒体であるけど、そこに他人が読んでどう思うかの客観的な視点が入ってない文章は辛い。


その能力を鍛えるためには、いろんな他の人のブログをたくさん読むのもそうであるが、たまにはプロが書いたエッセイなども読むのもいいだろう。やっぱり商業で成功している人というのは、いかにして他人を楽しませるかの芸がないと生き残れない。ブログは素人が書くものではあるが、長く楽しみながら続けようと思うのなら、この視点はどうしても重要だ。

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