
ハルキストを嫌うハルキストのおっさんである。
さて、日曜日の夜であるな。今日は珍しくサザエさん症候群は発生してない感じ。今日やったことといえば、午前中は自宅で色々とコーヒーを飲んだり、トイレや家の掃除などをした。午後からは美容室で髪を切ってきて、それから母親の見舞いに病院に行った。
病院から帰ってきたのち、17時は一時間ばかし夕方寝をして、さっき起き出して晩飯を作り食べた。今日はサザエさん症候群がないのは、夕方に寝ておいたおかげかもしれないな。
さて何を書こう。今日は夜はNHK第一のラジオをradikoで聴きながら飯を作ったり、晩飯を食べたり、ブログを書いたりしている。わりかし僕はポッドキャストやラジオも好きであり、基本的に情報収集は全部NHKのラジオニュースを聞くことで補っている。
さっき、日曜夕方にNHKのラジオでは、野村萬斎が色々と芸術関係の話をしたり、狂言の実演などをする番組をやっていた。僕がラジオを聴いていて「いいなー」と思うことは、こんな風に普通に生活をしていると興味を持つことのない芸術などの話を聞くことができることだ。
僕がクラッシックを小学生の頃ぐらいから聴き始めたのも、NHKのラジオを日常的に聴いていたので、そのクラッシックの音楽が、子供の頃にやってるゲームの音楽みたいで面白いなーと感じたからだ。
僕は案外、そこから音楽の趣味はクラッシックだったり癒し系のような現代音楽とかそっち寄りであり、大学生の頃もショパンなどのCDを借りてきてiPodなどで聴いていたりとか、クラッシックもよく聴くのである。これもNHKのラジオをよく聴いていたからこういうことになっている。
日曜日の休日の朝なんかには、NHK第一にはクラッシック音楽の番組が色々と多い。クラッシックの聴きかたというのは、その作曲者の人生の歴史を聞いたり、指揮者の人柄などを含めて演奏を聴くというのが楽しみ方の一つである。NHKラジオの番組はその辺りの周辺情報の解説が優秀であり、わりかしクラッシックファンというのは休日はFMラジオでクラッシックを聴いてるのが多いのではないかと思うんである。
こういうのは一般的には「丁寧な暮らし」クラスタのやることなのかもしれない。なんとなく、僕も日曜の朝にハンドドリップでいい豆のコーヒーを淹れつつ、NHKのラジオでバロック音楽なんかを聴いていると、村上春樹の小説の登場人物にでもなった気分になる。
いや、勘違いしないで欲しいのだが、僕はハルキストだからこういうことをやってるのではない。彼の小説の主人公というのは、クラッシックやジャズなんぞを聴きながらサンドイッチやパスタやサラダのような料理を作る姿というのがよくあるけど、あれは「かっこいいなー」と思うけど、僕は単なる意識低い系のおっさんである。今日作った晩飯もほうれん草とベーコンのバターソテーと冷凍食品の唐揚げと納豆とご飯である。
なんじゃろ、僕は意識高い系が大嫌いだと公言して憚らんが、あれは同族嫌悪である。わざわざ人に褒められるためにインスタ映えのする写真なんぞを撮って、それでポエミーなディスクリプションなんぞをつけてインスタに投稿するやつとかを見ると、共感性羞恥で1kmぐらい即座に距離をとりたくなる。
これは村上春樹の大きすぎる功罪だと思ってるのだが、ああいう文系のおっさんの静かな日常生活に対する視点の解像度の高さなどがすごいのだが、あまりにも作家として人気が高すぎるために褒められるために村上的な生活を真似するハルキストが発生してることである。
これは僕だけに限らんと思うのだが、ハルキストのハルキストに対する同族嫌悪というのは半端ではなく、村上春樹的生活に憧れて実行するのはいいのだが、それを他人に公言した途端、電子レンジの汚れ以下の価値に落ちる。
いやいいのよ別に。休日の朝に早起きしてジョギングをしたりとか、昼にパスタを茹でてジャズを流しながら読書をしようが、夜にロックでウイスキーを飲みながらレコードでクラッシックを聴きながら哲学的なことを考えるのも自由だ。だけど、それが「見せる用」になった途端にクソダサい。こういうのは個人の美的感覚としてやるものであり、それを他人に見せびらかすという態度自体が村上春樹の世界観と真逆の価値観になる。
おっさんが極めてめんどくさい価値観の問題で逆噴射をしているという自覚はある。しかし、僕はこのブログを書いた後は、手がけてるラノベの小説執筆の続きを書く予定であり、そのタイトルも「神とストゼロと女騎士」である。本来、こういう生活をする人というのはこういう馬鹿馬鹿しい意識低い系も含まれており、僕は昼間は「この素晴らしい世界に祝福を」の3期を見てゲラゲラ笑ってた。
だから村上春樹の功罪だと言ってるのだ。あの小説の登場人物たちも、カメラのフォーカスが離れたところでは何をやってるか分からず、ギャルゲーをやってたりアニソンのファンだったりするかもしれない。
一体まー、おっさんが一人で何を吹き上がってるのかよく分からんのだが、多分、羞恥心か見栄か、その両者が入り混じった感情が筆を走らせた結果である。これは生活を見せて共感を得るSNS時代の副作用がやらせてることであり、自意識拗らせおっさんは照れ隠しでこういう長文をダラダラと書いてしまう。