超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


SPONSORED LINK

答えのない問いを与えてくれるから文学は良いのである。

答えのない問いを与えてくれるから文学は良いのである。


メンタルの調子:わろし。毎日のここの部分の記述はどうしようかなと悩むところである。毎日体調について何かしら書くことから始めているけど、ここは僕は読むけど他の人にとってはどうでもいいことだろう。


や、まぁ色々とありましてね。ネットで嫌な情報をまともに読んでしまったりとか、会社でも揉めてる上司にお願いをしないといけない事態があったりなど。塩対応されながらもちゃんと感情を抑えて大人の対応ができた僕はさすがだと思う。


さて、今日は何を書こうかな? 最近の僕の読書傾向としては時間がある時には山口周の「独学の技法」を流し読みして、朝の通勤時間の車の中では村上春樹の「女のいない男たち」を読んでいる。


やっぱりどうも僕は村上春樹の作品というのは好きであるらしい。あの気取っていてどうにもギザったらしい内容を書く人ではあるけど、どうにも彼の書いてる作品の精神性というのは僕の考え方とピッタリとハマる感じであり、色々と人生の困った時にも彼の考え方で助けられることが多い。


しかしまぁ、真正面から好きだと言えないのが村上作品である。僕も村上作品は好きなのだが、ハルキストは嫌いなのである。いかにもなミーハーな感じでああいった空気感を好む感じの人というのは、なんか人としての深みを感じないのにそれっぽいことだけを口先で言ってる感じでなんかダメ。


いや、同族嫌悪というのは分かってますよ。村上さんはそういう人のために「村上主義者」なる造語も作り出しているのだが、僕はそっちに乗っかるのも、なんか潔しとしないのである。そもそも、人に認めてもらうために読書をしてる人がなんかダメ。


めんどくさい人であるというのは僕も分かってるんですけどねー。なので村上さんの本については周りに知られないようにこっそりと読むのが正しい読み方なのである。何もわからずに浅い批判をしてる奴も問題があるが、まぁ、文学というのは本来、公言しにくいアブノーマルなものという印象がある。


僕自身そういうところがあるけども、どうも文学というのは世間に背を向けながらやるものであると、僕は思い込んでいる。学問全般においても、文学は特に反社会的であるというか、世間から受け入れられない危ないヤツが最後に逃げ込む場所じゃないかと思うんである。


ちょっと前であれば、サブカル全般がそのような人たちの受け皿になってたように思うのであるが、今現代では様々な趣味が「サブの横並び」になってしまい、全ての趣味や性癖というのが等しく等価値に扱われるようになり、フラットになってしまい日陰者の居場所がなくなってしまった。


特に漫画やアニメなどのオタク趣味については、あまりにも広く薄く世の中に広まりすぎてしまったために、それが商品として市場価値があるということが商売人に見つかってしまった。


僕もオタク属性であるし、オタク的なものというのは好きなのであるが、それがコンテンツの消費活動でしかないことには忌避感を感じるのである。


どうも、僕はどうも消費されるだけのコンテンツに関してはプレミアム感を感じないのだ。人が物語を手に取る時というのは、その物語が自分にとってどのようなものを与えてくれるか、期待しながら読んだり視聴したりするものであると思うのだが、最初から決まりきったレディメイドに対しては魅力を感じない。


こういう既製品に魅力を感じない人がどのような行動に出るかというと、自分で作り始めてしまうのだ。僕なんかはその典型であるけど、僕が小説を書いたりとかイラストを描いたりするのは、既製品の中に自分の好みにピッタリと合うものがないから自分のために作ってることである。


閑話休題。文学や村上作品の魅力についてであったな。どうも文学というのは、読んだ人それぞれに切り口を与えてくれるというか、その作者と読者との対話がメインである。


最近のコンテンツの消費文化においては顕著であるが「ファスト教養」という批判がある。難しい学問であってもそれをSNSなどで自慢するために、決まりきった概要や切り口を素早く教えてくれるコンテンツである。教養系のYoutuberなどをみたら佃煮にできるぐらいに作成されてるけど、本の要約チャンネルのような、すぐに知ることができてすぐに知識を他人に自慢ができるコンテンツである。


本屋に平積みされてる自己啓発本などでも顕著であるけど、最初から決まった答えありきで読んだ人に何も考えずに平板な答えしか与えてくれない本というのも沢山ある。それで複雑な人生を快刀乱麻で回答したつもりらしいけど、当然ではあるが人生というのはそこまで底が浅いものではない。まぁ、あれはエビデンスベースで参考になる本もあるからピンキリだけど。


僕は村上さんの作品や他の文学作品を読むと感じることは、これらの本というのは簡単な答えなんか出してくれない。「世界にはこういう問題があるから自分で考えろ」と突き放した態度でくるのが文学だ。そういうわかりにくいものを自分の頭で考える経験をさせてくれるから文学はまだ意味があるのである。


村上さんの作品についてはまだ物分かりのいい方だよ。僕はそこまで極度に人生に悩み続けるまではしないので、彼ぐらいの柔らかさの文学作品がちょうどいいのである。まぁ、でも、何度読み返してみても新しく気がつくポイントというのがあるし、多分、文学の意味についてはまだ汲み尽くされてないのかなと思う。

プライバシーポリシー免責事項