超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。

毎日更新とAIと文体の悩み。

毎日更新とAIと文体の悩み。


今日は晴れ。車通勤中、音声入力でこのブログを書いている。ここ最近の習慣で、だいたい5〜6分ほど話して、その後会社に着いてから始業前の20分で軽く文章を整えて投稿する、という流れだ。


このやり方、実際どうなんだろうと考えることがある。ここ1週間ほどはずっと音声入力で更新していて、読んでいる人には気づいている人もいるかもしれない。自分としても「これでいいのかな」と少し引っかかっている部分がある。


というのも、自分は今まで3000日以上、1日1時間かけて毎日ブログを書いてきた人間だ。そのスタイルが、音声入力によって、5分話して20分整えるだけで済むようになった。労力は確実に半分以下。それはすごく効率的だし、更新を続けるにはありがたい。


けれど、毎日更新しているという事実と、「自分の文章を書いている」という実感は、似て非なるものなのかもしれない。


自分は、文体や表現にそこそここだわってきた。だからこそ、音声入力で内容を取り込み、AIがそれを文章にするというこのプロセスに、少なからず疑問を感じている。「これは自分の文章なのか?」という問いが、頭の隅から離れない。


もちろん、出力される文章は、自分が話した順番であり、言いたいことも大きくは変わらない。AIの手は最小限で、内容的には自分の思考とほぼ一致している。でも、それでもやはり「機械に文章を書かせている」という事実が、自分を少しだけ不安にさせる。


これはもう、古い書き手の性なのかもしれない。「人が書く意味」にこだわり続けるのは、効率や利益の話ではなく、ある種の信仰に近いのかもしれない。


ただ、それでも音声入力の文章を読み返すと、妙に読みやすくてスッキリしている。自分の書く、情報を詰め込みすぎた文章よりも、シンプルで親しみやすい。情報量だけではなく、文体にも「味」があるとしたら、その味をAI任せにするのがどうにも落ち着かない。


とはいえ、ブログの毎日更新は、自分にとってもはや変えようのない「前提」だ。3000日を超えて続けてしまった以上、これはもう死ぬまでやるのだろう。だからこそ、手軽に、できるだけ負担を減らして続ける手段は必要になる。寝てても書けるくらいじゃないと、やってられない。


けれど、その「やり方の変化」が、読者との関係に影を落とさないか──それも気になっている。音声を通じて、読者と細くても確かに繋がっているという感覚はある。その弱い紐帯を、自分の都合で手放してしまうようなことにはならないだろうか。


もっとも、そんな悠長に立ち止まっている時間もない。毎日更新の宿命とは、まさに「動きながら考える」ことだ。書いて、投稿して、走りながら修正する。先のことは、坂を上ってみないとわからない。


ただひとつ言えるのは、1日1時間のブログ執筆はやはり重い。それによって、小説を書く時間が取れなかったり、他の習慣が削られたりしているのも事実だ。だからこそ、しばらくは音声入力ベースで更新していく。ただ、もっといい方法があるなら、柔軟に変えていきたいとも思っている。


懸念はやっぱり文体だ。音声入力だと、微妙に自分の文体が変わってしまう。そこをどう修正していくか。投稿後に文体を整えていく作業は、今後の課題だろう。


文体とは、その人の生き方や思考そのものだ。そこをAIに丸投げして「これでいいや」と思えるほど、自分は割り切れない人間だ。


たぶん、これからも迷いながら書き続ける。それが、今の自分のスタイルなのだと思う。

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