超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。

障がい者雇用で働いてる人の勝ち筋って独立しかないんじゃなかろうか?

障がい者雇用で働いてる人の勝ち筋って独立しかないんじゃなかろうか?


さて、今日もブログ書いてきましょうかね。なんじゃろう。


最近、仕事について考えることが色々とある。昨日、ジムでエアロバイク漕ぎながら『GitHub CI/CD実践ガイド』みたいな技術書を読んでたんだけど、その中に「テストというのはチームでコードの品質を保証する責務」と書かれてあって、ふと自分の業務のことを思い返してしまった。


今、自分はテスト業務を任されているんだけど、バグを修正する権限は与えられていない。ただ、バグが起きたときの“怒られ役”を任されてるような立ち位置にある。品質を保証するって言われても、その中で責任だけ押し付けられて、実際にはシステム改善に関われないってのは、やる気無くす。


そんなことを考えてると、技術書を読んでても妙に落ち込んでしまって、結局クラシックを聴いて心を鎮めたりしてた。今の職場、このまま働き続けていいのかっていうのは、もうずっと自問してるテーマなんだよね。


自分は障害者雇用で働いてるけど、配慮という名の建前だけで、実際は安い賃金で働ける人員として扱われている。これはもう、配慮なんかじゃなくて形骸化された制度の中で飼われてる感じ。だからこそ、転職とかも真剣に考えたりするんだけど、現実は甘くない。プログラマの求人なんてほぼなくて、転職しても事務職かブルーカラー。それだと完全にキャリアダウンで、下手したら今より悪くなる可能性もある。


そう考えると、障害者としての“勝ち筋”って、独立ぐらいしかないんじゃないかって思うようになった。一度障害者雇用に入ると、そこから抜け出して普通の就労に戻るのは限りなく不可能に近い。だけど、自分はFlutterを使ったアプリ開発もできるし、Webのシステム開発もある程度はこなせる。最近はGitHub Actions使ってCI/CDの開発パイプラインも組めるようになってきた。


だったら、Lancersとか使ってフリーランスで仕事取って、独立した方がまだ可能性あるんじゃないかって考えてる。……とはいえ、身分が安定しないっていうのがどうしても怖い。要するに、飛び出すだけの勇気がないってことなんだろうけど、実際、食っていけるかどうかの保証がないんだよね。


それでも、とにかく今の職場はやめたいっていうのは変わらない。ただ、車のローンもあるし、生活費の保証がないと動けない。老後のことも考えたら、資金の蓄えも必要だし、こんなに楽しくない職場でダラダラ働く意味あるのか?って自問し続けてる。


承認もない、孤立してる、いてもいなくても同じ。そんな職場に未来はない。だからこそ、副業に勝ち筋を見出すようになってきた。本も出したし、電撃大賞にも小説を送っている。創作関係でなんとか活路を見出せないかって、真剣に思ってる。


今はObsidianとCursorを使って、自分の知的生産システムをAIと連携させてガンガン回してる。年間でKindle本を3冊くらい出せたら理想。月に1万でも2万でも収益が出せるようになれば、それを足がかりに今の職場を抜け出せる道も見えてくるかもしれない。


焦ってはいないけど、10年後に今と同じ状況かって考えると、そうじゃないと信じてる。自分、結構どん底を見てきた人間だから、今の状態なんてまだマシ。これから上がっていくしかないって、案外ポジティブに思えてる。


それに、自己憐憫がないっていうのが、自分の強みかもしれない。「誰かが悪い」なんて全く思ってない。ただただ、今の状況から抜け出すために、自分で動いていくしかない。そんな感じだよね。


何はともあれ、今の職場で飼い殺しにされないように、優雅にストレス解消しながらも次の手を打っていこうって、そういう心づもりでやってます。まあ、今日はこんなところですかね。


P.S. note書いたよ


note.com

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