超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


SPONSORED LINK

ネットで名前を使い分けることについて。

ネットで名前を使い分けることについて。


写真を撮ってブログに掲載しようだとかそんなことを書いたけども、やっぱ平日はとくにブログに載せるべき写真を撮影する機会がない。せいぜい会社と自宅の往復をしているだけなので、その中で写真を撮影したとしても身バレが怖くてネットに公開することはできない感じであるよな。ちょっとこれはやり方を切り替えてGoogleフォトで今まで撮ってきた写真を振り返ってみて、何か良さげな写真をサムネイルに上げるというやり方でもいいかもしれない。でも、ブログの記事というのは一日単位で分類されてる記録であるし、その日とあんまり関係ない写真を貼り付けるのはあんま意味なさげな……。うーん。


やっぱ、写真を撮影できる日にその日の風景写真なんかを一枚パシャリと撮影して、それを軽く概要を説明しつつブログに掲載しておくのが良さそうね。遊ばせてるInstagramのアカウントもあるので、そちらも適当にいろんなカフェに行ったりだとか沖縄の観光名所に行った時の写真をアップしてそちらでもソーシャル活動をしておくのが良いだろう。


僕は、イーロンマスクに不信感を持ってtwitterでの活動を縮小して他のSNSに活動拠点を移すようにしている。最近ではマストドンを主な拠点地にしてるけど、InstagramだとかDiscordなども含めていろんなSNSにて少しずつアカウントを育てていく感じで自分の拠点を増やしていこうと考えている。


twitterの一件で分かったことは、自分のストック型情報にせよ、財産にせよ、資産となるような価値のあるものは一箇所に集中させてはいけないということだ。資産運用の金言に「卵は1つのカゴに盛るな」という言葉があるけども、なにか1つのサービスにすべてのリソースを費やしてそちらがサービス終了で利用不能になった場合、それで受ける損害は膨大なものになる。これは資産運用の考え方であるけども、資産のポートフォリオは分散させるほどリスクが減少していく。SNSでの信用価値というのもこれと同じで、分散させておけば色々な場所にて居場所が存在することになり、どこか1つの場所が利用不能になったとしても代替案を考えることができるようになる。


ネットでのペルソナを考えた場合に、同じアカウント名を使って色々なサービスで活動するべきかどうかは意見の分かれるところであろうな。実名主義Facebookのような場所はまた別であるが、僕は必ずしもネットでの活動はすべて同じアカウントで活動する必要はないと思うんだよね。必要に応じて別のペルソナを使ってそちらで普段とは違う人々と交流するのも悪くはないと思う。平野啓一郎が提唱しているような分人主義という考え方もあるけども、人のアイデンティティというのはその場その場の環境に大きく作用されて形成されてしまうものであり、確固とした自分というのは実は存在しない。


僕はネットではこのブログで使ってる「ゆきにー」というHNで統一している。しかし、イラストや小説を書いたりするときの名前は「椎野樹」という作家名である。僕自身はとくにこだわりがあってこの使い分けをしている訳ではないが、なんとなくで創作をやる時は別の名前を使っている。ここんところのネットでのペルソナの使い分けというのは、ネットユーザ一人一人でこだわりがあるだろうし、語って貰えばおもしろい話が聞けそうなテーマの話題であるな。


名前というのはその人の本質を表すラベルのようなものであるし、HNのようなものを意図的に変えている場合というのは違う本質になりたがってるという願望が表れているのだろうな。ネットでHNを名乗っている人たちというのは、リアルでの本名とはまた違った人格として活動したいと思ってるのだろうし、ネットで複数のHNを持ってる人たちというのはそれぞれで違う人格が現れているのだろう。本名でネットを使ってる人たちというのは、現実での仕事などのためにネットで宣伝したいのだろうと思われる。匿名で活動してる人たちというのはよく分からないのであるが、自分の主な人格では現れない影の部分を吐き出したい時にネットを使ってるのだろう。


僕自身はネットのペルソナとしてはほぼ1つとして同じ顔を使っているけども、理由としてはこちらのブログがほとんどメインの活動拠点として定ってるからであるね。元々、僕は2chのような匿名掲示板でネット活動をスタートさせたタイプであるので名無しな存在であったのだけど、長年1つのブログを書き続けていると「ゆきにー」という名前で周りの人に認識されてしまった。ほぼほぼこちらで使ってるペルソナというのは半匿名でリアルでの顔とそこまで変わりがない感じでもあるし、ネットというインターフェイスでの判別名として同じ名前を使ってるだけである。この名前にしてもはてなのIDである「yuki_2021」の読みをそのまま取っただけという安直なものである。


ネットの人格というのもリアルの人格と変わらずに並列で存在するものであると思うよ。中にはネットの方の人格が大きくなってしまい、自分の本質がそちらに変わってしまう人もいるんじゃないかと思う。僕もネットで過ごしている時間というのが人生の中で長くなり過ぎてしまったので、どうも自分の本質というのは現実よりもこちらのブログで書いてる気持ちの方が真実に近いのではないかと思う。本当の自分がどこにあるのかと問われた時に、多分、いろんな人と関わり合ってる中で現れてるその時のペルソナが本当の自分なんだよね。

プライバシーポリシー免責事項