超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。

月曜の朝は調子が悪いな。

月曜の朝は調子が悪いな。


今朝みたいな雨の日は、どうにも調子が狂う。結局のところ、僕は環境に引っ張られる生き物なんだな、という話。


朝、沖縄は大雨だった。運転している頃にはもう止んでいたけど、こういう日は道が混むだろうなという予感だけが先回りして、気分も一緒に湿ってくる。案の定というか、体調もいまいちで、頭の横あたりがじんわり痛い。雨が降ると頭痛が出る体質は、どうやら簡単には治らないらしい。枕を変えて少しマシになったと思っていたけど、結局は“なりやすさ”そのものは残り続けている。


とはいえ、だからといって何かが劇的に変わるわけでもない。昨日はサウナに行って、帰ってから少し時間があったので絵を描いていた。ストゼロ勇者のリヴィアとカエザルの一枚絵、ようやく形が見えてきて、今はペン入れの段階。相変わらず線は安定しないし、「下手だな」と思う瞬間もあるけど、それでも今の自分にできる範囲で進めるしかない。



構図は少し欲張って、魚眼レンズっぽい歪みを効かせた俯瞰気味の配置にしている。こういうのは明らかに描き慣れている人の領域だな、と描きながら思う。でも、思いついてしまった以上はやるしかない。完成までは色塗り含めて1〜2週間くらいだろうか。練習と本番、その両方を同時に回していくしかない。


ここで思うのは、結局こういう創作って、自分にとっての「リラックス」なんだということだ。僕はどうしても義務感で走りがちで、「やらなきゃ」で日々を埋めてしまう癖がある。でも、それだけだとどこかで息切れする。だから意識的に、楽しむための行動を差し込む必要がある。


絵を完成させて、それを眺めていると、ちゃんと満足感がある。長年描いてきたものをPixivで遡ってみると、ほんのわずかだけど成長も見える。その「わずか」が案外大事で、積み上がった記録として残っているからこそ、自分の変化を実感できる。


これはブログも同じで、10年前の自分の文章なんかを読むと、正直かなり荒れている。思考もネガティブで、どこか攻撃的で、あまり褒められた状態ではない。でも、今は少し丸くなっているし、当時は想像もできなかった生活をしている。人間は思っている以上に変わるし、その変化は記録していないと気づけない。


僕は2010年くらいからずっとメモを取り続けている。Evernoteのログを遡れば、さらに昔の自分にも出会えるだろうし、今もObsidianで日々の断片を書き留めている。そういうログは、単なる記録じゃなくて、自分の生存証明みたいなものだと思う。


振り返ったときに感じるのは、「よくここまで生きてきたな」という感覚だ。世の中に嫌気が差したり、自分に絶望したりしながら、それでもなんとかやりくりして生き延びている。その連続が今につながっている。


チャップリンの言葉に、人生は近くで見れば悲劇だけど、遠くから見れば喜劇だ、というものがある。あれは本当にその通りで、渦中にいるときはどうしようもなく苦い出来事も、時間が経てば「ちょうどいい苦さ」になる。完全に消えるわけじゃないけど、飲み込める味に変わる。


だから、目の前の体調の悪さとか、思い通りにいかない創作とか、そういうものも含めて、長い目で見れば一つの材料になるんだろうと思う。今この瞬間だけで判断するとしんどいけど、もう少し距離を取って見れば、全部ちゃんと文脈の中に収まっていく。


結局のところ、僕はこれからもこうやって、記録しながら、作りながら、生きていくしかない。短期の視点と長期の視点、その両方を行き来しながら、なんとか折り合いをつけていく。


雨の日の頭痛も、その一部だ。そう思えば、少しはマシに感じる。

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