超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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自分の元気出すためにブログ書いてます。

自分の元気出すためにブログ書いてます。


ため息出ちゃうわ。恋はしてないけど。


メンタルの状況、最☆悪。昨日、被害妄想の認識を新たにブログでやり直したのは良かったな。またずるずると妄想に飲み込まれていくと引き返せない所まで行っちゃう。まじでこういう自分の精神が牙を剥いた状態って悪魔的な状況であるな。来週の月曜日には病院受診に行くので、それまでは死んだフリをしてなんとかやり過ごす。


なんじゃろ、「やまない雨は無い」みたいな言説を落ち込んでる人にすることがあるけど、実際に自分が落ち込んでる状況の時には「うるせぇ、お前がその手に持ってる傘よこせ!」と言い返したくなるよね。実際まぁ、メンタルの気分が落ち込んでる状況というのは耐えるぐらいしか方法が無いわけで、そこになんの改善の見積もりもない状況であると死にたくなるのも無理はないかなと言った感じ。自分を励ますためならともかく、他人に向けて使う言葉ではないよね。


なんかさ、ここ数日の僕のブログを読んでくれてる読者諸氏は、病んでる割には普通やんけと思うかもしれないけど、僕はわざとポジティブな内容でブログを書こうと苦心しているのである。こういう状況下でブログまで病んだ記事を書くと、自分の気持ちに押しつぶされそうになる。病んだ気分の時には気合を振り絞って前向きなことを書くのが僕のスタイルである。目先の気分に振り回されて落ち込んでいると思考まで歪んでくる。


やられすぎて思考やら認知が歪んだ状態だと、問題解決のためのまともな思考までできなくなる。世の中のさまざまな問題には複雑なものはあれど、「解決策はある」と信じて生きることは重要である。実際、マイナスな状況で視野が狭くなった状態では、見れる範囲が狭くなり物事の見積もりもネガティブに押しつぶされそうになる。問題解決のための思考法では、物事を多角的に視野を広く持って観察することが重要だ。有効な思考法としては、その問題が置かれてるシーンを他人の視点で振り返ったりとか宇宙視点から捉え直してみるのもありであろう。不安や怒りという感情は人の視点を個人に閉じ込める。究極的なことをいうのであれば、宇宙のチリ程度に過ぎない人間がいくら悩んだところで、恒星の一つも生み出せない。


自分自身が悩んでる時は励ますためにこのような思考法でなんやかんや気合を入れ直すのである。暗い音楽などを聴いてみて絶望の底に着くまで堕ちてみるというのも方法の一つかもしれないが、僕の場合、問題を拗らせるばっかりで苦しいばっかりでなんの意味もなかった。こういうネガティブな状況では、「なんとかなる! 特に理由はないけど!」と信じて、ひたすらダラダラと休息し続けるのがよろしいのである。無論、これは困ってる人の万人に勧める方法ではなく、僕はこうしているという指針である。


どんなネガティブな状況でも、底まで着いてしまったらあとは上がるだけである。なんか経験上、人間の精神の底というのもある程度、限度があるようである。僕が人生の底だと思ってるのは、精神病院の保護室に閉じ込められていた状況であるけど、あの場所は剥き出しの和式トイレとマットレスしかなく、しかもその時は冬で鉄格子のはまった窓から寒風が吹き込んでおり、「あ、自分は死んで地獄に落ちて、ここは死後の世界だな」と思ったもんだ。意識を失った状態から気がついたらそんな場所だったから、ほんとに死んだと思った。


そういう状況と比べると今はひたすら上がり続けて天国みたいなもんだ。何かしら問題となる出来事はあれども、その状況に対して何もコントロールができないような自分の精神や方法に束縛を受けた状況でもない。やろうと思えば仕事をさっさと辞めて自由を味わうこともできるし、まだ思考を巡らせて状況を改善するための努力もすることができる。人間が不幸を感じる状態というのは、物事を何もコントロールできない時に最も強く感じるという。少しでも自分の意思の力で状況を改善できると思えるのならば、まだ諦める時間ではない。


とりあえず、ま、自分の今の状態は、思考がまともじゃないのでひたすら飯を食べて寝まくってストレス解消のためにサウナに入ったりとかそういう休息が必要な状況なのであろう。まだまだブログを書いたりするのも楽しい気分ではあるので、致命的なほど落ち込んでいるという状況ではないと思う。僕が本当にネガティブな状態に陥った時はブログを書くこともできなくなるからね。毎日、こうやってブログを書いたりするのは、思考を巡らせて日々の現状や改善策などを考えるために役立っている。


最近のブログは完璧に自分の私物化をしてしまって自分のことしか書いてないけど、まぁ良いかなと思う。自分のブログというのがどこに行き着くのか?とかブログというメディアのこれからとはみたいなややこしいことも考えたりするのだが、「うるせぇ! 俺が書きたいから書くのだ!」という春團治節でよろしかろう。

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