超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。

自分が人嫌いかどうかというのはよく分からんのだよな。

自分が人嫌いかどうかというのはよく分からんのだよな。


昨日はちょっと飲み会に行ってきて、夜は親戚の兄さんと飲んだ。楽しく飲める相手とだったら、酒飲んでもつまらなくはないんだなって思った。普段の飲み会って、本当つまらない。神経ばっか使って、酒飲んで気分悪くなって終わり。だから会社の飲み会とか基本的に行かないようにしてるんだけど、昨日みたいに楽しく飲めるなら参加してもいいかなって、ちょっと思った。


コロナ禍から今まで、ほとんど酒を飲まないようにしてたし、ストレス解消はもっぱらコーヒー飲んだりクラシック聴いたり。だから今さら晩酌の習慣とかもない。正直、アルコール飲まないで金も使わずに済んでる自分に安心してる。他の人が酒で身を崩してるの見ると、やっぱりあんまり近寄らない方がいいなっていう意識が強くなる。


で、そんな飲み会のあとで、なんとなく人間関係について話してみたくなった。自分は基本的に人嫌いだって認識してる。でも、それをわざわざ声高に主張するのもなんか違うよなって気がする。自覚してれば、それでいいんじゃないかって感じ。


思えば自分がやってきたことって、ほとんど一人で完結するものばっかりだった。ブログ書くのもそうだし、創作活動も全部そう。だから他人の協力を求めようなんて、ここ最近になってようやく考え始めたくらい。もちろん他人の承認はちょっと欲しかったりするけど、そんなに重視してるわけでもない。


ただ、最近になって、「人間一人では生きていけないもんなんだな」って、なんとなく実感するようになってきた。福祉の制度を利用して生活が成り立ってる部分もあるし、いろんな人の協力を受けて暮らしてるわけだからさ。自分ひとりで生きてるつもりでも、飯を作ってくれてる農家とか、工場の人たちに生かされてる。そう思うと、やっぱり世の中って一人じゃ生きられない。


アドラーの「共同体感覚」って言葉が頭をよぎる。引きこもってても、パンを食べるためにはパンを作った誰かがいて、それを買うお金があってっていう社会の繋がりがある。どこまでいっても、人との関係性ってのは消せないんだなって思う。


それがなんというか、素晴らしくもあり、ちょっと怖くもあるんだよね。自分が生きていることで、誰かと少しずつ関係を持って、そこからまた新しい何かが生まれていく。その過程でいろんな感情が動いたりして、めんどくささもあるけど、でもそれだけじゃない。


人嫌いだとか言いつつ、気づいたら他人のために頑張ってしまう癖がある。しかも無償で滅私奉公みたいにやってしまう。それって自分の悪いところでもあるんだけど、なかなか変えられない。


ネットで文章を書くのもそう。金儲けは嫌いだって言いながら、無収入でずっと書き続けてるのはどうなんだって、自分でも思う。でも関わり合いの中で自分の視野が広がってく感じは嫌いじゃない。昨日の飲み会でもそう思った。普段会わない人とちょっと話すだけで、考え方が変わったり、見え方が広がったりする。


人間関係って、どうしてもマイナスなイメージが強い。でも、人はやっぱり島嶼にあらずだよな。誰とも関わらずに生きていけるわけじゃない。少しだけ視野を広げて、ちょっと違う人と話す。それだけでも人生の捉え方が変わることがある。


毎日同じルーチンに閉じこもってるだけじゃ見えないものがある。だからこそ、少しだけパターンを変えてみるとか、いつもと違う人に会ってみるとか、そういう小さな変化が大事なんだと思うようになった。


こう考えるようになったのも、本当に最近のこと。
人生ってのは、何があるかわからない。だから面白い。

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