
ハロウィンっていまだによく分からん。
はい、おはようございます。明日はハロウィンらしいね。正直言って、自分らが子供の頃にはそんな行事、だーれも知らんかったと思うんよね。なんかいつの間にか日本でも「ハロウィン」という言葉が定着してて、スーパーでもコンビニでもカボチャだの仮装グッズだの並んでる。あれ、いったいいつから始まったんだろうな。どうも日本のハロウィンって、文化というより「商業イベント」なんだよね。秋の集客のネタとして輸入されたというか、バレンタインとか恵方巻きと同じ匂いがする。資本主義の季節行事というやつ。
うちの近所のスーパーでもハロウィンのフェスとかやってるけど、正直、元の原型がさっぱりわからん。アメリカの本来のハロウィンって「お菓子をくれないといたずらするぞ」って子供が近所を回るものだったでしょ。日本ではその要素はほとんど消えてて、代わりに仮装して大騒ぎするイベントに置き換わってる。渋谷あたりの群衆騒ぎのニュースを見るたびに、「これのどこがハロウィンなんだろう」と思う。でも、ああいうのに文句つけるのも年寄り臭い気もしてね。別に自分が参加しなきゃいいだけの話でもあるし。
自分は人混みが苦手だから、そんな日でも家にこもって読書でもしていたいタイプだ。静かに過ごすほうが性に合ってる。でも、せっかくだからイベントの由来くらいは知っておいてもいいかもしれない。元々は古代ケルトの祭り「サウィン(Samhain)」が起源らしいね。秋の収穫を祝い、死者の霊を迎える行事。それがキリスト教の「万聖節」と混ざって、今のハロウィンになったらしい。だから、あの「お化けの仮装」も本来は霊をまぎらわせる意味があったということ。感謝祭みたいな季節の節目に近いのかもしれない。
そういう文化的な背景を知ると、少しだけ意味を感じる。でも、自分にとってはやっぱり季節の変わり目の一行事くらいの認識だな。まぁ、季節の変わり目にそういうイベントを傍目に観測してるのもいとおかしだろう。最近は小説書いたり、ブログ書いたり、筋トレしたり、そのルーチンで1日が終わっていく。母親の介護も今は施設に任せてるから、以前より少し静かだけど、今週末にはまた戻ってくる予定で、それでまた生活が慌ただしくなる。結局、静かな時間というのは期間限定なんだよな。
こうして同じことの繰り返しの中で、マンネリをどう打破するかというのは常に課題。新しい刺激がないと、心が鈍くなる気がする。小説で新しいアイデアを思いついたときはテンションが高いけど、常にそのテンションを維持できるわけではない。人間って、新しいことを学ぶと脳が活性化するっていうじゃない。神経可塑性の話でさ。だから、年を取るほど「新しいこと」を少しずつでも取り入れるのが大事なんだと思う。AIとか新しいテクノロジーもその一つ。うまく使えば生活を良い方向に変えられる。
昨日ラジオの「school of lock」を聴いてたんだけどさ、若い世代がInstagramのDMで連絡を取り合うとのこと。LINEすら古いらしい。自分はIT業界にいるから最新の技術には通じていると思っていたが、もうすでに一歩遅れているのかもしれない。流行を追う必要はないけれど、思考が固まるのは避けたい。新しい技術や文化を適度に取り入れて、柔軟でいること。それが歳を取ってからの「学び」なんだろうなと思う。少なくとも、ハロウィンみたいな流行行事に違和感を持った時点で、自分の思考も少し硬くなってきているのかもしれない。
手始めとして、ハロウィンには北谷の美浜アメリカンビレッジあたりに出向いて見るのもいいかも知れないが、ハロウィンの日には相当混雑してるとのこと。多分、うんざりするだろうので、いつもと同じように近所のジムでトレーニングをして、水曜どうでしょうを見て足湯をして寝てしまうのがいいのだろう。せめて近所のスーパーでハロウィン企画のお菓子を買う程度か。