
そろそろ冬が近づいてきた。
冬が近い。沖縄でもようやく西高東低の冬型の気圧配置になってきて、空気がひんやりしてきた。朝、外に出ると風が少し冷たくて、空はどんよりとした薄曇り。これが沖縄の冬の典型だ。観光ポスターみたいな青空はなく、湿気を含んだ曇りが続く。でも、この曇り空には妙な落ち着きがある。夏のぎらついた光よりも、冬の静けさのほうが心に合っている。空気が澄んで、呼吸が深くなる。コーヒーを淹れるにもこの時期がいちばんいい。苦味も香りもはっきりして、精神まで透き通るような感じになる。
沖縄の夏は、観光客には楽園に見えるだろう。けれど地元の人間からすれば、長くて重い季節だ。ずっと暑く、外に出るのもおっくうで、エアコンの効いた部屋から出られない。あの明るさは、住んでいる人間にとっては消耗に近い。海はきれいだが、泳ぐ人は少ない。県民は海を眺めるのは好きでも、実際に泳ぐのは苦手な人が多い。泳げないまま大人になる人も珍しくない。だから冬が来ると、ようやく落ち着いた時間が戻ってくるような気がする。外に出ても汗をかかず、空を見上げても太陽に目を焼かれない。静かに息をつける季節だ。
年末が近づくと、毎年の恒例行事がある。年賀イラストを描くことだ。誰に頼まれたわけでもないけれど、いつのまにか自分の中での「書初め」みたいなものになっている。タブレットで少しずつ描いていくから、完成までに一ヶ月はかかる。去年は自作小説『オンミョウデザイア』の美弥と晴明を描いた。
今年はどうしようかと考えている。オリキャラでもいいが、東方のキャラクターでも描いてみようかと迷う。正直、オリキャラは反応が少ない。SNSに載せても「いいね」が3つか4つ。けれど、もうそれを気にしていない。誰かに見てもらうためではなく、自分が描きたいから描く。そういう気持ちで続けている。創作を長くやっていると、他人の反応に振り回されることの虚しさを痛感するようになる。結局、楽しいと思える瞬間は、描いているその時間だけなのだ。
人間は誰しも承認欲求を持っている。他人に褒められたい、自分が価値のある存在だと感じたい。けれど、それを他人に依存すると、いずれ苦しくなる。他人はあなたを常に見てくれるわけじゃない。褒められない日が続くと、自分の価値まで見失う。だから、自分で自分を褒める技術が必要になる。これはただの自己啓発ではなく、生きるうえでの防御術だと思う。寝る前に「今日の良かったこと」を三つ書き出すスリーグッドシングスでもいい。声に出して「今日もやれたな」と言うだけでも違う。重要なのは、自分の努力を自分が見捨てないことだ。
僕はずっと、自分を責めるのが得意なタイプだった。少しでもミスをすると延々と反省して、完璧を目指して自分を追い詰めていた。けれど、いくら自分を攻めても、周りが救ってくれるわけじゃない。ストイックさは誰かに理解されることも少ないし、称賛もされない。だからこそ、あるとき気づいた。自分の人生を楽にするのは、自分で自分を褒めることだと。声に出して「よくやった」と言うだけで、心が少し軽くなる。ばかばかしいと思うかもしれないけれど、これは継続するほど効いてくる。心がすり減らないための習慣になる。
世の中は、能力のある人ほど褒められない仕組みになっている。「できて当たり前」と扱われるからだ。だから、他人がくれない分、自分で自分を認める必要がある。これは甘やかしではない。続けるための技術だ。創作も人生も、責めすぎると壊れる。自分を褒めることは、自分の燃料を補給する行為だ。
冬の空の下で、曇り空を見上げながら思う。静かな時間を持てるだけでも十分だ。自分を責めず、少しだけ褒めてやる。それでまた明日、筆を取る気力が出るだろう。そうやって自分で自分を褒める習慣を持っていると、趣味も人生も多少はマシになる。