マインドフルネス瞑想の効果を実感できてきた。
今日は仕事に集中できた気がする。僕が以前からマインドフルネス瞑想を色々と研究していることは、熱心な読者諸氏であればご存知であろう。
なんとなく、マインドフルネスというのがどういうものなのか体感として分かってきた。今は、マインドフルネス瞑想に関しては、朝通勤で会社についた後の駐車場で20分。家に帰ってきて夕食を食べる前に20分づつ瞑想を行っている。
マインドフルネス瞑想をするために導入音声を使っているんだけど、以前はAwarefyの音声ガイドを使っていた。しかし、Awarefyの音声ガイドは、色々と説明が多すぎるのである。まず導入部分で背骨を真っ直ぐにしたりとか、鼻先に集中して呼吸を見るようにしたりするのにガイドが説明してくれるんだけど、呼吸に集中しそうになっても音声ガイドがごちゃごちゃと割り込んできて気が散る。あれはあくまでも瞑想がどんなものか知るための入門用ですね。
あと、僕の実感だけど、瞑想は10分程度じゃあまりマインドフルの状態に入れない。Youtubeなどにあるマインドフルネス瞑想の初心者向け動画とかでは1分瞑想とか3分瞑想から始めるのがよい、みたいな説明をするけども、あれは本当に初心者が練習を始める段階の導入の部分である。ある程度、呼吸を見つめる時間を長くしないと、雑念を認識することすらできない。最低でも20分はやってないと感覚は掴めないはずである。
僕が今、マインドフルネス瞑想の練習用で使ってるのは下記の動画だ。
この動画をローカルにダウンロードして、iPhoneで再生して練習している。この音声ガイドは、呼吸に集中させるために空白の時間を置くのと、雑念が湧いたタイミングを見計らって雑念を捨てるようにリマインドしてくるタイミングが的確である。
実際にマインドフルネス瞑想を習慣化して、3ヶ月ぐらいやってみたのだけど、驚くほど心が穏やかになって、苛立ったり不安になったりすることがすくなくなった。怒りの感情などが湧いても、その感情をメタ認知で観測することができて、そこから呼吸の感覚などに思考のフォーカスを外してグルグル思考になる前に止める事ができるようになってるのである。感情と距離を取ることができるようになっている。
マインドフルネス瞑想のトレーニングというのは、ただ座って静坐瞑想をするだけじゃなくて、歩行瞑想とか食事をしながらその感覚にフォーカスを当てたりする生活の中でのトレーニングもある。むしろ、静坐瞑想というのは自分にとってのマインドフルネスの感覚を知るためだけの練習で、生活の中でマインドフルネス瞑想を実践するためには、生活すべての日常茶飯事で身体の感覚を見つめながらマインドフルの感覚を広げていくのが重要な気がする。
例えば、皿を洗ったりとかシャワーを浴びるのだってマインドフルネス瞑想のトレーニングにすることができる。皿を洗うときは、手に持っている皿を見るのや水が肌に触れる感覚に意識の集中を向ける。雑念が湧いたらそっとフォーカスを外してまた皿や水の触覚に意識を戻す。シャワーを浴びるときも水が肌に触れる感覚や身体を洗ってる感覚に意識を向ける。雑念が湧くたびに身体の感覚にフォーカスを戻すのである。
この生活全般でマインドフルネスのトレーニングをするためには、ある程度、静坐瞑想で、雑念が湧いたら呼吸に意識を戻すトレーニングが必要なのかもしれない。マインドフルネス瞑想というのは心の筋トレのような所があるらしく、雑念が湧くたびに呼吸に意識を戻すことを繰り返しているうちに、雑念を検出するメタ認知の能力や、雑念から意識を身体感覚に外す能力が育ってくるらしいのである。
ここ最近で雑念から意識を外す感覚を掴めてきたのだけど、仕事でも集中力が上がってる。自分の内面の方で、疲れを感じてきたという感覚もメタ認知で検出できるようになってるので、適切に休憩を取るタイミングを知ることもできるようになっている。
それと、感情に振り回されにくくなるというのはありがたい効能ですね。悲しみや怒りの感覚が湧いてきても、第三者の視点のように客観的に自分の感情を見つめることができるようになる。感情に思考を乗っ取られて振り回されるのではなく、その感情が起きた出来事を色んな考え方の方向から検証するのに心のリソースが使えるのである。
マインドフルネス瞑想に関しては習慣化しないと意味がないから難易度は高いけど、ちゃんと練習していたらメリットは大きな習慣ですね。ある程度、感覚がつかめるようになってくると人生観まで左右されるのは分かる気がする。僕ももうちょっと色々と情報を集めたりしながら、練習を積み重ねたい。