休日はスタバで過ごしていることが多いです。
下書き供養の記事から書いて欲しいという依頼があった。
下書き供養の記事からまた執筆依頼が来たので、今日はその記事でも書いているとしよう。
- 休日はカフェなどに行って勉強する。
こちらのネタで書いてほしいとメールがありましたんで、それについて書きます。
休日はスタバで何かをしている。
最近はそうでもないんだけど、以前は休日はスタバで何か書き物などをやってることが多かった。これは休日に家にいると、眠気で無制限に寝まくってしまうせいだ。
ほんとさ、意味不明なんだけど、休日に家に居ると恐ろしいまでの眠気に襲われてしまって午前中が全部潰れたりとかそういう事がよく頻発していた。これは僕だけじゃなくて嫁さんも一緒で、この家には何かしらの人を眠らせてしまう超自然的な何かが存在しているのではないか?とよく話し合っていた。
僕は普通のフルタイムの仕事をしているので、平日はほとんど何もすることができない。仕事から帰ってきたら、適当に飯を食って風呂に入って寝るだけ。なので、休日に趣味やいろいろな勉強をするためにスタバで何かをやっていた。
この理解不能の眠気というのは最近は起こらないのだけど、休日の睡眠時間の乱れとかそのせいで起きていた気配が濃厚である。僕は休日前になると2時頃まで起きて何かをやってる事がよくあるのだ。最近は気をつけて23時ぐらいまでには寝るようにしているけど、またルーチンが崩れ始めているので気をつけないとならないだろう。
スタバではブログを書いている事が多かった。
実は、自分の住んでいる家からは、車で15分ぐらいのところにスタバがある。土曜日の午前中はそちらでなにか書き物をやってるのをルーチンに決めていることもあった。最近は、イラストを書くために家でPCに向かっている。
スタバにノートPCを持ち込んで、ブログを書いたり今週の振り返りを行ってる事が多かった。家にいると、どうしてもだらけてしまうことが多いので、場所を変えれば集中力が高まるだろうという考えの元である。
実際、スタバでは自分たちとおなじ様に勉強のために訪れている人が多くて、作業に集中することができた。何か、役所から来た書類整理とかそういう仕事をするときも、家では手につかないけどスタバに行くと作業が捗ることはよくあることである。
スタバ以外にもそういうサードプレイスがあればよいのに。
サードプレイスという概念があるのだけど、このような意味だ。
サード・プレイスとは、コミュニティにおいて、自宅や職場とは隔離された、心地のよい第3の居場所を指す。サード・プレイスの例としては、カフェ、クラブ、公園などである。アメリカの社会学者、レイ・オルデンバーグはその著書『ザ・グレート・グッド・プレイス』(The Great Good Place)で、市民社会、民主主義、市民参加、ある場所への特別な思いを確立するのに重要だと論じている。
会社では仕事をして、家では生活をして、そして、息抜きをするどこか別の場所が人生には必要だ、というわけです。
自分にとってのサードプレイスというと、ジムだったりこのスタバだったりするでしょうか? 他の生活の些事とは離れた場所で、自分を取り戻すための場所といえるかもしれません。
でも、スタバって、ぶっちゃけコーヒーがそんなに美味しくない。スタバというのはラテを飲むための場所であり、コーヒーは場所を借りるための場所代ぐらいの価値しか無い。なんかさ、豆が深煎りしすぎていて、コーヒーの風味が全部ぶっ飛んでるのよ。
スタバは以前は「スターバックスコーヒー」という名前だったけど、最近になって単なる「スターバックス」に名前を変更した。売上の中でもコーヒーよりも他のラテみたいなドリンクのほうが上だということで、名前からコーヒーを抜いたらしいんですよ。
どうせなら、コーヒーが美味しくて、居心地がよい場所で作業をしたいなーという気持ちはある。