
人間の行動パターンというのは環境に規定されてるんだよね。
さて日曜日であるな。今日は僕は特に予定がないので、母親の見舞いに行ってきたのちにいつもの図書館に出かけてちょっと色々と本を読んだり借りたりしてきた。
まぁ、ちと、僕はSNS断ちをしてるもので、情報については図書館の書籍などを色々と参考にして体系づけた知識を身につけることを気をつけようかと思っている。スマホで暇な時間にSNSを見る代わりに、常にスマホのホーム画面の一番目立つ場所にkindleのヴィジットを配置して、暇なときはkindleで適当に本を読むのである。
そのほかにはブログを読んだりするのもRSSリーダーのInoreader経由でしか最近はニュースもブログも読まない。ネットサーフィンをする情報については、このRSSリーダーに情報を一元化しており、ぐだぐだとネットサーフィンで迷わないようにしている。
最近、僕は「根性よりも仕組みづくり」ということで色々と考えることが多いなーと思う。自分自身の過去のライフログなどを振り返っていても思うのだけど、人間の思考というのは揮発性で、一時的にすごいやる気であるとか嫌な気持ちなどの感情でドライブしてる時期があったりするけど、そんな感情なんてものは1年も経てば完璧に忘却の彼方なのである。
何か、小説執筆とかそのほかの業績を立てる事などでも思うのだけど、そういう何かしらの行動で業績を残したいと思うのであれば長期的な行動変容が必要になる。これは自分の行動パターンを変化させて、一つのことに集中してリソースを投下するようにする必要があるんだけど、これは根性では無理である。
僕は大学生の時には心理学専攻で、認知科学のアフォーダンスなんかを研究していたのだけど、人間というのは相当に思考も行動も環境に左右されてコントロールされてるというのが明らかなのである。例えば、人間の座るという行為は、ちょうど座るのに適した切り株などのアフォードする環境があるから促されるものであり、人間の思考パターン自体が環境が先にあり定義されてるというようなものだ。
これは、学問的な理屈だけではなくて、自分自身の生活を良くするためにも使える理論。人間の思考というのは、自分自身の意思とは関係なくて、環境の方で最もやりやすい行動パターンに左右されている。つまりは良い習慣も悪い習慣も、人間の意思でコントロールしようと思うのなら、モチベーションで頑張るよりもその意志の力で環境を改変した方が変更しやすいのだ。
つまりは、理性の方で何かしらの「読書を習慣にしたい」などのモチベーションが生じた時に、頑張って本を買ってきて毎日読もうと意気込むのはあんまり意味がない。モチベーションというのは揮発性のもので、数日もしたらやる気というのはすぐに薄れる。三日坊主が生まれるのはこの原理だ。
読書をしたいと思うのなら、常に本を見える場所においておきすぐに手に取れるようにしておくとか、毎日仕事帰りにはカフェに通って本を読む習慣を身につけるなどそういうやり方が有効。意志の力がある時に生活をデザインしておき、それで生活パターンを変えてしまうのが一番いいのだ。
モチベーションというのはスピードメーターのようなものであり、モチベーションがないから行動ができないという人がいるけど、因果が逆である。モチベーションというのは行動をして小さく成功した時に徐々に高まっていくものであり、最初から高いモチベーションというのは何かの勘違いで起きてることなのですぐに霧散する。モチベーションを高めて行動しようというのは、スピードメーターを引っ張り上げて車のスピードを上げようということで全く意味のない行為である。
こういう原理についてはわかってるので、あとはどういう風に自分の生活に応用していうかだよなーともう。最近だと常に手元にはスマホがあるので、そういう情報デザインとかは自分の利益をもたらすために色々と使えそうだよなーと思う。でも、肝心なのはどういうミッション・ステートメントのために計画してリソースを投下するとかそんな基本的なところであったりするので、ちとまぁ夜の時間はそれを考えてみるか。