
承認欲求の強さよりも自己承認の弱さが問題なんだろうな。
今朝は水出しコーヒーを飲みながら出勤中。これが意外といい。夏になると毎年のように水出しコーヒーを作っては会社に持って行ってたけど、今年はちょっと本腰入れて量産体制で行こうかと考えている。いつも朝はドリップスケールで15分かけてコーヒーを淹れてたんだけど、水出しなら夜のうちにパッと仕込めば2〜3日分が一気にできる。これはいい時短だ。
さて、2日連続でコーヒーの話題に触れるのもどうかと思うんだけど、まぁ、そんなに語れるほど詳しいわけでもないし、今日は少し別の話もしようと思う。
最近、「書くこと」について、ちょっと考えることが増えた。ブログやニュースレターで好き勝手に書いてはいるものの、やっぱりどこかで承認欲求に突き動かされている気がする。誰かに読まれたい。誰かに認められたい。でも、その欲求が満たされないまま、もやもやを抱えて生きてる感覚もある。
先日、チャッピーくんとの壁打ちの中で、「承認欲求は適度に満たす程度にして、自分で自分を認める方向へシフトした方がいい」と言われた。なるほど、と思った。僕の問題はおそらく、自己承認の低さだ。どれだけ習慣をガチっと決めて毎日ブログを書いていようが、どうしても「まだ足りない」と感じてしまう。
性格が「べき論」に支配されていて、「こうでなければならない」「こうあるべきだ」と思い込んでいる。結果、どれだけ努力しても自分に満足できない。「こんな自分じゃダメだ」と思い続ける癖がついてしまっているのだ。
だけど、冷静に振り返ってみると、自分のやってきたことって、そこそこ半端じゃない。毎日ブログを書き続けているし、習慣化もできている。でもそれでもまだ「自分は大したことない」と思ってしまう。この自己肯定感の低さはなかなかのものだ。
完璧主義も影響していると思う。自分がやることはすべて完璧でなければならない。そう思い込んでいるから、どこまで行っても満足できない。行動のモチベーションも「楽しさ」ではなく、「べき」や「義務感」から来ている。だから、どれだけ続けても、達成感や充実感が湧いてこない。
僕はこういうやり方が非常に下手だと思ってる。やってきたことを適度に褒めるって、本当は大事なことだ。ストイックに自分を追い込み続けたって、絶対どこかで燃え尽きる。だから、自分を甘やかす、というより、適切にねぎらう姿勢が必要なんだと思う。
「スリーグッドシングス」みたいに、寝る前に良いことを3つ書き出す。そういう地味な積み重ねも、自分には大事なんだろう。ただ、こういう性格だから、自分だけじゃなく他人のこともつい厳しく見てしまう。他人のいいところを見つけるのが苦手で、ついついネガティブにばかり目がいってしまう。
文章にもその傾向は表れる。暗く、重たくなってしまうことが多い。そんな自分の文章を読んで、「面白くない」と思う瞬間もある。だからこそ、もう少し物事を楽しめるように生きていきたい。少しずつでも、自分を認めること。他人のいいところを見つけて、ちゃんと伝えること。そのあたりを、意識していきたいと思っている。
まぁ、そういうことを考えるとこれが義務感になるのも自分なんだけどな。もうちょっと「適当にやる」を覚えないとどうしようもないよな。なるようになるとは言い聞かせているが、それでも強迫観念で動いてしまうのがウィークポイントである。
水出しコーヒーのように、手間をかけすぎず、でもちゃんと自分にフィットするものを日常に取り入れる。それが、今の僕に必要な自己承認の練習かもしれない。