
人生という長いスパンの中では一つの出来事よなー。
ほいさ、土曜日の夜だけど今日もブログを書いていこう。今日の体調は気力が完璧に尽きており、このブログを書き終えたら風呂に入って適当に本でも読んだのちに寝てしまおう。
今日もいろんな出来事があったけど、予想以上に状況はよろしくない。入院している母親の面会に行ってきたのだけど、かなり弱っており、退院も随分先だろうし、その後の予後だって今は未知数だ。
午後15時ごろに病院に面会に行ってきたけど、そこからすっかりとやる気をなくしてしまい、ぼんやりと焚き火の環境音を聞きつつじっと座っていた。ブログを書こうかとも思ったけど、脳が全く動いておらず、反芻思考はしてないけどなんとなくネガティブという感じだったので、晩飯時間までは座ってぼんやりとしていた。
けっこー、自分も疲れているのだなと思う。精神的に参っており、このまま何もせずに動かずにじっとしているとネガティブスパイラルに入るとわかったので、無理やり体を動かして冷蔵庫から冷凍弁当とご飯を取り出して食べた。
そこから、たまっていた皿を洗い、明日のために水出しコーヒーを作った。こういう脳が思考停止でなんとなくネガティブな気分に陥ってる時は、ルーチンな作業をやるのが案外有効だった。普段通りに家事をやっていると思考の動きが戻ってきており、ブログについても騙し騙しだが書くことができそうである。
とはいえ、もう僕は完璧に疲れ果てており、何か変わった話題を提供する気力も残っていない。今日のブログは完璧に毎日更新の記録維持のための穴埋め記事であり、テキトーに1500字程度を書き終えたらさっさと投稿してPCも閉じてしまう。夜は風呂に入ってスマホでkindle本でも読んでいよう。
今は、さっきほうじ茶の茶葉があったのでお茶を入れて、PCの前で思いつくままにキーボードを叩いているという状況である。今日は午前中にもニュースレターの記事を書いたけど、僕はブログに関しては10年近く毎日更新をしてきたので、何も考えずとも自動書記のように記事を書くぐらいには文章を書くのに慣れている。
それにしたって、僕の最近の現状についても考えを巡らせるのだけど、状況がどうにも過酷だ。自己憐憫はやるだけ無駄だからやらないけど、なんだってまぁこんなハードモードでクソゲーな人生になってるのかと疑問ぐらいは持つのである。
まぁ、なんかの運の巡りで偶然こんな感じの星の元に生まれてしまったのだろう。それで僕は人生の意味がどうこうのような絶望のしかたはしないのである。
いや、以前はわりかし絶望してジタバタしてることも多かったのだけど、結局それで物事が好転することってなかったしなーという印象。気分で行動を起こすと、自分の気分ばっかりが加速して思考が歪んで現実が見えなくなり、結局そのことで自爆して大ダメージというのが多かったようなーと。
どうも僕はそこまで若いわけでもないから、もう人生の意味がどうこうというような自分探しのような言説は赤面しちゃうので言わない。や、そのあたりについては僕はヴィクトール・フランクルの「人生の意味というのは人生の問いにどう応じるか?」というような哲学を採用している。
色々と世の中をフラフラしていると耳障りのいい生き方の考え方なんぞは溢れているが、実際のところ、思想というのは自分なりに身の丈にあった思想を見つけて、自分の実生活で実用してみてそれで体に馴染ませないと意味がない。やたら派手なやつとかいろんなノウハウコレクターというのもいるけども、フツーの人の人生で必要な哲学というのは1つか2つもあれば十分だろう。
僕もご多分に漏れず自意識を拗らせた思春期を送っていたので、高校生の時から図書館に閉じこもっていろんな哲学書を読み漁ったりなどしてたのだけど、中年まで生きてきた今の自分にとっては、フランクルと仏教思想というのが一番馴染むよなという感じである。
人生の中では苦しいこととか楽しいこととかいろんなイベントが起きるけど、それらもみんな受け取り側の考え方次第だよなというのは強く感じる。「もう駄目だ!」と思えば石に転んでも死ぬし、生きようと思えば戦争でも案外生き延びてしまったりするもんである。
一体、今の僕の人生で与えられている課題というのはどんなもんだろうというのは、なかなかハードな課題を突きつけられてるようであるが、それも受け手である僕の受け取り方次第であろう。あまりにも理不尽であると思考停止をするのも簡単なのであるが、別にこれも人生全体で見るとほんの一つのエピソードであるしな。実際に自分が死ぬまで生きてみたのなら、人生の走馬灯の中では一瞬の出来事であろう。
目の前で大きな問題が起きてる時は、それはとてつもなく大きな壁に思えるかもしれないが、これを世界とか宇宙レベルまで視野を広げてみるとちっぽけなものだ。僕は大学の恩師の先生には、こういう時は夜の海辺でゴザを広げて星空を眺めるとどうでも良くなるというアドバイスも受けたこともある。
ブログレベルでも、はてなブログ程度の限られた界隈でも、さまざまなブログに目を転じてみると、いろんな人たちがいていろんな人生の局面を送っているのである。人生というのは「諸行無常」「諸法無我」、何か決まりきった幸せもないし、永遠に続く不幸もない。
そういうことを考えながら今日もブログを書き、あとはさっさと風呂に入って寝るのである。明日はサウナにでも行って頭の中身を消毒してこようと思う。