
黒歴史な過去記事を読んでみて、自分の正しさとはなんだと思うよね。
今日は午前中は買い物をやってきて、それから午後は色々と野暮用をやっていた。それから夕方にサザエさん症候群を発生して自分のブログをひたすら読み漁っていた。
自分のブログを読んでみて思うのだが、それなりに書いてることが面白いのである。・・・いや、引かないでほしい。ものを書く人間というのは、自分の書いたものが大好きという生き物なのである。
「黒歴史」という概念がある。それは無論、僕にもなくはない。過去に書いた記事で自分でも読みたくない記事というのは結構ある。そもそも黒歴史を恐れるのなら、ブログのような形式で文章を書かねばいいのである。
というか、黒歴史を恐れるんであればそもそもものを書いて残すこと自体をしない方がいい。SNSやその他の媒体でも、定期的に書いたことを全部消去して、たまにネットで使ってる名前自体を変えてしまえばいい。
僕はどうも、リセット癖については、あるのは知ってるけどあの心理がよく分からない。たまに自分が今まで積み上げてきたことが全部嫌になってやり直さないと気が済まないらしいのだけど、当然だけどそういうことをやれば自分が今まで積み上げてきたことも0になる。単純にすごくめんどくさいと思うが、そうは思わんのだろうか?
僕のネットでのやり方というのはリセット癖とは逆だ。何でもかんでも基本的には消さずに残してしまう。なんでまぁ、いまだにmixiなんかにも黒歴史文章が残っているのだけど、そういうのは気にしなければいいのである。
定期的にネットでやってきたこともリセットした方がいいんだろうなと思うけど、これは過去の自分の思想と現在発信してる思想が一致しないことが発生するからである。
過去のブログを読み返して思うことなのだが、僕の考え方というのは首尾一貫しておんなじ考え方ではないんだよね。過去の方では病気で支離滅裂なことを書いてるエントリーもあるし、そういう記事については消しておいた方が痛い腹を探られなくていい。
それと考え方が昔は明らかに拙い感じであり、明らかに思考の掘り下げがレベルが低すぎる記事がある。ステレオタイプな紋切り型の考え方で強い否定の言葉を吐いていたりとか、そういう記事は読んで赤面しちゃう。
でも、別に僕はその過去の過ちを強いて拒否しようとは思わんのである。このブログは、ブログ名が「超メモ帳」であるけど、これはブログ立ち上げ当時から、「自分の思いつきを何でもかくぞ!」という思いつきのもとで付けたブログ名だ。
過去の拙い記事も、その時の自分が一生懸命考えて書いた記事であるし、そこを読んでみて恥ずかしいなと思うのは、今の自分がそれだけ成長しているということである。むしろこういうのが日記とかのメモワールの醍醐味だと思うんだけど、過去の自分と今を比較してみて今の自分の立ち位置が分かるのだ。
過去の自分の書いた文章を読んで黒歴史だと思うのは、間違いなくそれだけ分自分が進んでいるという証明なのだ。むしろ、昔から言ってることが一貫して変わらないというのは、凄そうに思えるかもしれないけど全く何も成長してないということだよね。
なんで人は黒歴史を恐れるのかを分析すると、自分が言ってることは常に正しいという思い込みが否定されるんでしょうね。過去から自分は正しかったはずなのに、過去に自分の書いたことを読むと稚拙なことが書いてある。過去の自分を否定したいのだろう。
完全に正しくて無謬な人間なんてどこにもいないよ。もし、自分がそうだと思い込んでる人がいるとしたらよっぽどの世間知らずだ。自分の思い込んでる正しさなんてものは、単なる今の自分のポジショントーク。明日には全く矛盾した違う意見を信じてるかもしれない。
他人は間違っていて、自分の考えてることは絶対正しいと思い込むのは、人間には必ず存在してるバイアスだ。「私」という存在の一貫性を保つためには必要なホメオスタシスかもしれないけど、実際のところ、自分が信じてる正しさなんてものは天気や気分だけでもブレまくる代物である。
じゃー、自分の考えを正しく保とうという試み自体が無駄になるんじゃないか? と思うかもしれないけど、僕はその姿勢自体は非常に重要だと思うんだよね。世の中には正しいことは何もなくて、自分の存在自体矛盾だらけで意味がないとすると、単なるニヒリズムに陥る。世の中に正しいものがないとするのなら、努力をして生きる意味もないし、さっさとすぐ死んだ方が時短でいいという結論になる。
なんでまぁ、自分には矛盾があるということも含めて、それでも正しくあろうとする姿勢が大事なんだろうなーと思う。ある種の構造主義というか、正しさそのものがあるのではなく、正しくあろうという姿勢自体に意味があるんである。過去のブログを読んでいても、その時の自分の最善を尽くそうとしてそういう文章になってるのだし、今の自分も最善を尽くして考えてることを書けばいいのである。
僕は暇人だから、自分の書いた過去のブログを読みながらこういうことを考えるのである。そういうある種の批判的思考みたいなものはぶれてないから、まぁいいかと思う。