超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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SNSで情報収集することをどう考えるか?

SNSで情報収集することをどう考えるか?


はい、おはようございます。さて、随分と秋晴れって感じになってきたね。沖縄でも「秋めいてきたな」って思う瞬間がある。気温そのものはまだ最高33度とかで、数字だけ見ると全然夏なんだけど、朝晩の風が冷たくなってきてるのを肌で感じると「ああ、秋が近づいてるな」って思うんだよ。特に夕暮れが早まってきてるのが一番わかりやすい変化だと思う。僕は大体5時45分くらいに起きるんだけど、夏場はすでに明るい外が、今はまだ薄暗い。それだけで季節の移ろいを実感する。


僕自身は夏よりも冬の方が好きだ。沖縄の夏はギンギラギンで、ひたすら暑くて消耗する。観光客にとっては夏の海が一番の見どころなんだろうけど、住んでる側としては冬の静かな時期がいい。人がほとんどいない海辺で、ただ波を眺めながら音楽を聴く。そういう時間の過ごし方が僕にとっては一番贅沢だ。飯もうまいし、空気も澄んでる。だからどうしても「沖縄は冬がいい」と思ってしまう。観光のピークシーズンではないからこそ味わえる余白みたいなものが、僕にとっては心地よい。


一方で、最近よく考えるのがネットでの居場所とかコミュニティのこと。僕は短文SNSTwitterとかは完全にやめてしまった。理由はいろいろあるけど、やっぱり集中力が削がれるし、メンタルが安定しなくなる。SNSはどうしても「気分の波」を作るように設計されてるからね。いいねやリツイート、炎上ネタで感情を煽る仕組みが内蔵されてる。それに乗せられると、こっちの頭が疲れてしまう。自分の気分が他人の言葉に過剰に引っ張られてしまうのは、長い目で見ると消耗するだけだ。


とはいえ、SNSをやめると情報感度が落ちるのも事実だ。だから代わりにニュースサイトやラジオをチェックしてるんだけど、「感度」と「安定性」のバランスをどう取るかは難しい問題だと思う。ネットの情報環境はすでに「横並びのサブストリーム」ばっかりで、誰もが自分用に最適化された断片情報を見せられてる。アルゴリズムがこちらの好みに合わせて流してくる情報だけ見てたら、かえって大局が見えなくなるんじゃないかと危惧してる。これは投資とか社会の流れを読む上でも結構大事なポイントだ。全体像を掴まないと判断を誤る。


だから僕は昔ながらの新聞やラジオで全体像を掴む方が良いと思ってる。SNSで流れてくるのは断片的で感情的なニュースが多い。怒りや恐怖を刺激する記事ばかりで、気がつくと自分の想像で都合のいい物語を作ってしまう。それって本当は望んでいないことなんだよね。むしろ僕は自分が気づいてない盲点とか、不意に突きつけられる異質な視点に出会いたい。そのためにニュースを見てるし、ChatGPTと壁打ちするときも「同意するな」という設定を入れてる。要は自分の思考を揺さぶってくれるものを探してるんだ。快適な情報だけに包まれるのは、実は危険だと思っている。


SNSを使わなくても情報収集はできる。たとえばTwitterのトレンドが気になるなら、Yahooのリアルタイム検索でキーワードを調べれば済む。わざわざタイムラインを眺めて時間を吸われる必要はない。世の中の大きな流れは新聞やラジオで押さえておいて、細かい話題だけピンポイントで検索する。そういう形なら、情報も拾えるし、精神的にも安定する。僕にとっては今のところ、このやり方で困ったことはない。むしろ、自分のリズムを守れる分だけ以前よりも落ち着いていられる。


――ただ、ここで考えるべきは「情報感度と精神の安定、どちらをどの程度優先すべきか」という点だよね。情報を追いかけすぎれば不安になるし、避けすぎれば社会との接点を失う。その両立をどう工夫するかが、これからの課題なんじゃないかな。


P.S. note書いたよー、読んでー。


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