超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。

毎日書くというのは無意識に飼われる行為である。

毎日書くというのは無意識に飼われる行為である。


今日は朝起きた時に壮絶に調子が悪かった。なので、夜にブログを書いてるのである。


んー、なんじゃろ。昨日の夜から神経がやられてる系の疲労でやられていたけど、今日もひたすら調子が悪かった。幸にして、今日は午後から母親の病院のために半休だったので、帰ってきて晩飯の前に2時間ほど寝たら多少は体調が戻った。


朝にも車で通勤をしながら、音声入力でブログを書こうとしたのだが、今日はひたすら初っ端からネガティブなことしか出てこず、お蔵入りにしたのである。


ブログを書くときはネガティブな感情については扱いに困る。さりとて僕はメンヘラであるからネガティブには親和性があるのだけど、それを恥じらいもなく垂れ流すほど子供でもない。


というか、調子が悪い時に調子が悪い記事をブログで書くと、そのダメージが尾を引くのである。脳にネガティブな情報が刻まれてしまうのか、そのぐるぐる思考が長引いて定着してしまうのであり、これは僕にとっては経験上やらない方がいいことだ。


疲れてぐるぐる思考が繰り返されてるときは、わざわざそれを人の目に見えるところに晒さない方がいい。これは思考をダンプリストで言語化する時もそうなのだけど、こういうネガティブな情報を書き出して整理するときは、アナログの紙に書き出して書き終わったら破って捨てる。


長年の物書き人生をやってきたので、この辺りの皮膚感覚というのは身についている。僕は普段からもObsidianにライフログをつけているので、ひっきりなしに一日中文字を書きまくるメモ魔であるけど、人の目に晒す文章というのはまぁそれなりに気を使うのである。これは他人によく思われたいからというよりは、外部に晒してコミットした文章というのは自分に対して影響を残すからだ。


ブログというのは、物書きでもない素人が文章を書いて他人に読んでもらう遊びだけど、案外、その文章の影響というのは大きい。たまに僕程度でも読者から感想をいただくこともあるし、何より書いてる僕自身がその文章の影響を受ける。


文章を書くことはコミュニケーション手段であるけど、最もその影響を受けるのが書いてる本人なのである。書くことは思考を増幅させて固定化させることであり、どうでもいいことでも繰り返し書いていると無意識に刻まれて性格になる。


小学生の頃にやったことがある人もいると思うけど、筆写という練習方法あるでしょ? あれでもおそらくやってる人には文字の魔法でなんらかの無意識の烙印がつくのであり、ましてや自分が考えた文章を毎日書くなどということをやってると、テキメンにその人の性格は小さな自分のノイズが拡大されて固定化されていく。


僕を見ているとわかるだろうけど、毎日ちゃんと文章を書くことに血道をあげる人間なんてものは、何かしら妙な個性が拡大して定着しており、普通の人がいない。動物園の動物を檻の外から見てると楽しいけど、その動物と間近で遊ぼうとは思わない。ブログというのはそういう檻の外から人間という動物を観察する遊びのようなものだ。


ブログを書くという遊びは、ニーチェの言ってる深淵をまともに覗き込むような行為である。自分の中にあるモンスターを飼い慣らそうというのが物書きという行為の本質であり、大概の人は無意識をペットにしてるつもりで自分が首輪に繋がれている。


それをメタ認知で客観視してるつもりで、さらにその上位構造に無意識があり手のひらでコロコロされてる。マジで度し難いよなーと感じるのであるが、人間が物語ることというのはそういう構造になっている。

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