
無理に自分を掘り下げないからブログは続いている。
おはようございます。今日もこうしてブログを書いている。天気は晴れで、気温も少しずつ上がってきていて、節分も過ぎたし、暦の上ではもう春だ。朝の空気もどこか柔らかくなってきた感じがある。こういう天気が続いてくれたらいいなと思いながら、いつもの時間にキーボードを叩いている。
内地に行くといつも思うんだけど、沖縄とはやっぱり昼の長さが全然違う。沖縄は朝が遅くて夕方が長いけど、内地は朝がとにかく早い。数日寝泊まりするだけで、時間の感覚がひっくり返る感じがあって、毎回ちょっと驚く。人間の生活リズムって、思ってる以上に太陽に支配されてるんだなと思う瞬間でもある。
久しぶりに温泉旅行にも行きたい。九州の湯布院とか、あの辺りでいい。確かに移動は疲れるけど、行けばちゃんと疲れが取れる。そういう分かりやすい回復装置が、たまには欲しくなる。
さて、今日は何を書いておくか。ちょっと前にチャッピーと壁打ちしていて、改めて思ったことがある。自分のブログって、別に深い自己掘り下げをしてるわけでもないし、いわゆるお役立ちブログでもない。正直、そのどちらでもない中途半端な位置にある。
でも、3300日以上ブログを続けてきて思うのは、長期的に続けるなら、それでいいんじゃないかってことだ。ブログを続けるうえで一番大事なのは、いかに自分を削らずに書き続けるか、そこに尽きる。内面を無理に掘りすぎたり、読者に媚びて役に立つことだけを書こうとしたり、そういう書き方は絶対に続かない。
自分では内省しているつもりでも、実際は同じ場所をぐるぐる回っているだけだなと思うこともある。だけど、それも多分、意図的じゃないにしても、そこにとどめているからこそ続いている。深く掘りすぎないことが、結果的に継続につながっている気がする。
自分を掘り下げる文章って、自分を削る文章でもある。掘れば掘るほど、新しい自分に気づくこともあるけど、その気づきが必ずしも心地いいとは限らない。今までの考えと真逆のものが出てきて、普通にダメージを受けることもある。徹底的に掘り下げていけば、一貫性のない自分ばかりが顔を出して、ブログ自体がブレていく可能性もある。
玉ねぎみたいなもので、皮を剥いても剥いても、結局同じ芯しか出てこない。そもそも、自分が気づいていない「本当の自分」なんてものは、多分それはもう自分じゃない。人の影響を受けて作られた価値観だったり、後から刷り込まれた考えだったり、そういうものに気づいてしんどくなるのが大半だ。
綺麗なところも汚いところも含めて、それを抱えたまま生活を安定させていく。下手に掘り下げ続けるより、その方がずっと現実的だと思っている。
お役立ち文章についても同じだ。他人の視線ばかり気にして、毎回読者に合わせた文章を書くなんて、30日も続かないと思う。続いている人がいたとしても、たぶんどこかで質が落ちる。
僕にとってブログは、思考のメンテナンスだ。毎回1500〜2000字くらいで、考えたことをざっと並べる。思考の排気口みたいなもので、余分なガスを抜くために使っている。思考のリズムを安定させるための装置、という感覚が一番近い。
だからこそ、ここまで続いている。毎回自分を削りながら、内面の奥底を探るような文章を書いていたら、たぶんどこかで潰れていた。娯楽として、ガス抜きとして書いているから、今日もこうして普通に書けている。
自分の内面を掘り下げるって、響きはかっこいい。でも実際のところ、「本当の自分」なんてものは存在しなくて、あるのは自分が気づいている範囲の自分だけだ。その中から突然、未知の何かが飛び出してくることはほとんどない。出てくるのは、だいたい経験済みの考えや、見慣れた価値観ばかりだ。
それでもいいと思っている。未知のものに触れることも大事だけど、それよりも、安定して続けること。今の自分には、そっちの方がずっと大事だ。今日もこうして書けた。それで十分だと思っている。