生活習慣にマインドフルネスを取り入れてみた。
最近、嫁さんと一緒にマインドフルネスをやっている。心が落ち着いて非常に良い。
マインドフルネスってなんじゃらほい?というのは僕も最初に聞いた時に思ってたんだけど、一日中感情に振り回されて集中力が欠けている様な問題に悩まされている人にも有効らしくて、嫁さんが始めたので僕も一緒にやってみている。
マインドフルネスの練習で使ってるのはMeditopiaというiOSアプリだ。
これでひとまずマインドフルネスをマスターしてみようかなと企んでいる。
lifehackerでも紹介されていたけど、一日のうちに日常に振り回されずにリラックスできる時間があればストレスに対するコーピングになりうるのである。
やってみた感想としては、やっぱりすごい落ち着くなーという事だ。呼吸に集中することで雑念をシャットダウンして、思考をリセットしてしまうのである。人間というのは一日中何かを考えてしまって、そのためにゆっくりと落ち着くことすらできない。マインドフルネスはそれを一時的にでもシャットダウンすることで、本来の自分を取り戻す事ができるようになるのだ。
坐禅の効果というのはやっぱり本来の自分に立ち返るというところがあるらしい。以前読んだ本でこういう風な記述があった。
私たちがふだん、日常で行う行為のすべては何かのための手段です。事務作業一つをとってみても、このアポ取りはある打合せをセッティングするための、その打合せをセッティングするのはきょう一日を無事に終えるための、きょう一日を無事終えるのは上司に怒られないための、上司に怒られないのは査定でマイナスにならないための、査定でマイナスにならないようにするのは将来の生活への不安をなくすための、というように、すべてが目標への連鎖になっている。その連鎖に日々私達は追い立てられ、手段としての行為を際限なく重ねていくほかありません。
坐禅とはその連鎖を断ち切ることであり、それだけで完結した行為であって、他に目的を持たないのです。そして椎茸を干すような、他に目的をもたない作業は、坐禅と同じ効果をもつということができます。禅寺で料理や掃除などの作務が坐禅と同様に重視されるのはこのためです。作務がそれだけで充実した行為であるということ、そしてあの老いた典座のひたむきな姿が教えてくれるのは、「何かに役立てるという考えかたをやめる」ことであり、「今ここ、この私に徹する」ことなのです(頼住光子『道元に学ぶ生き方』より)。
ひっきりなしに連鎖してく目的を、瞑想で一時でも断ち切ってしまう。何かの為に行動させられてしまう日常を無心で座禅する事で断ち切る事で「無」になる。こうやって無の状態を作ることで今この一瞬にある本来の【私】を取り戻すことができるのである。
マインドフルネスというのは、こういう禅や瞑想から宗教的な要素を除いて実用できる要素を抽出した感じである。なので、悟りとかそういう究極的な目標に向かってやるような修行じゃないのである。あくまでも実用的に瞑想の持つエッセンスを日常生活に役立てるテクニックなのだ。マインドフルネスというのは科学的な方法で自分の情動を調練する訓練法なのである。
僕がマインドフルネスやることで期待しているのは、集中力とか高まらないかなー?とかそういう事なのだ。普段生活していると雑念で本を読んだりとか仕事をしたりする時に集中することが出来ない事がある。人間関係であったちょっとしたトラブルが頭の中でぐるぐるループしてしまい、それに囚われてやるべき事が手に付かない事がある。
マインドフルネスを習慣づける事で、この様な雑念をコントロールできる術を身につける事ができないかなー?と期待しているのである。落ち着いてクリアな思考で作業に取り組めるようなマインドが手に入るなら、マインドフルネスを訓練するのはとっても有意義である。
Googleがマインドフルネスの教本を出しているので、それも買って読んでみようと思う。
サーチ・インサイド・ユアセルフ ― 仕事と人生を飛躍させるグーグルのマインドフルネス実践法
- 作者:チャディー・メン・タン,一般社団法人マインドフルリーダーシップインスティテュート
- 発売日: 2016/05/17
- メディア: Kindle版