雑文書きとしての生存戦略とは。
今日は快調な一日であったな。日曜日だけど、朝7時ぐらいに起きて朝食を食べた。それから午前中は母親の見舞いに病院に行って、午後からスタバに籠ってひたすらテキストを書きまくっていた。今日は合計で7000字ぐらい書いているな。
今日は特化ブログ書いて、note書いて、小説のノルマ分を書いて、メインブログを書く。
— ゆきにー@雑文書き (@yuki_20211) 2020年7月19日
書いて書いて書き倒す。
先日、設立したばっかの沖縄グルメブログ「うめ~し*うめ~し」に初めてのレビュー記事を投入した。糸満西崎のおうちカフェ「土~夢 ごはんカフェ Do-mu Okinawa 」について書いた。
大体、特化ブログについて記事を書くならばこんな感じだろうなーみたいな感覚で書いてみた。別に僕は毎日、このブログで適当な事を書き散らしているけど、最近のブログっぽい書き方が出来ないという訳でもない。このブログの文字が詰まった書き方はわりかし意図的である。僕は昔ながらのテキストサイトが好きなので、読む場合はテキストがみっちりと詰まって濃いブログが好きなので、このブログはそっち方面を目指しているのである。
見出しや目次で整理したブログは、情報は見やすいけど文章の読み味みたいなものは薄れてしまう。何かの情報サイトみたいなブログを作るんであれば読みやすくないといけないから、ちゃんと見出しで整理して読みやすいテキストを書かないといけないだろう。僕の本職はwebプログラマだから、SEO対応みたいな業務もあるので、ある程度はweb運営の情報も集めているではある。一度は実践的にばりばりSEOを効かせたブログ運営などをやって、どんな風なテクニックを使ってアクセスを検索エンジンから集めるのか試してみたかったって事もあるんだけど、コアアップデートで個人ブログはオワコンらしいんで、SNSを中心に集客するやり方とかをいろいろと試してみようかなと思う。
サイト運営はあんまりアクセス数ばかりに囚われる必要とかも感じてなくて、ちゃんとUX的に優れていて需要がある情報を扱っているサイトであるならばリピート客は付くと思っている。のんくら本でも、検索流入はあてにならんからリピート率を70%まで上げろ、みたいな事が書かれていた。僕のブログ運用の哲学って「隠れ家ブログ」を構築する事なので、必ずしも万人にウケるようなサイトを作る必要はない。訪問客が10人居るとしたら9人は無関心ですぐ去ってしまうとしても、残りの1人がバリバリにハマってくれて何度もリピートするようなサイト運営をすれば良いと思っている。
喫茶店の運営などでも、立地のいい場所で客をたくさん集めて席の回転率を上げるような営業方法は大手のチェーン店しかできない。個人の小さな店などは毎日訪れてくれる常連客をいかに抱えているかで食えるか食えないかが分かれてくる。ちいさくてしょぼそうな店でも常連客が居るのであれば食っていけるのである。街の小さなスナックなどが潰れないのは熱心な常連客が居るからだ。
今日は日曜日だったからnoteも書いた。
僕が「雑文書き」と名乗ってるのは、乞食みたいなプロブロガーと一緒にされたくないからみたいな事もあるんだけど、単に僕のネットのペルソナというのは小説だろうがエッセイだろうがブログだろうが、金になろうがなるまいが雑文を書きまくるつもりだから名乗ってる肩書でもある。僕のネット上での生存戦略って、プラットフォームはどこでもテキストを書いて書いて書き倒すという事なんだよね。
noteに関しても、ある程度、記事が溜まってきたら有料マガジンとか作ってみようかなと思う。これに関しても僕の知的生産のプロセスとしてアウトプットをまとめておくスペースをnoteで作ってみようみたいな企みである。自分がブログでいろいろと考えていたアイディアをnoteでまとめて、これをゆくゆくはセルフパブリッシングで一冊の電子書籍にまとめてAmazonとかで販売しようかなと思っているのである。
文章が換金できるかどうかは後で考えれば良くて、ひたすら生産性を高めまくって質の高いアウトプットを増やしまくればいい。ネットで稼ごうとか考えるならば、まずはいろんな人の役に立つギブをいっぱいするべきであろう。そこんところをSEOみたいな検索エンジンをハックするような裏技を使って、どうでもいい通りすがりの人からもアテンションを奪っていたから是正されたのであり、これからネットが普通に戻るだけなのだろう。ネットを長く観測していたら分かる事もあるんだけど、ネットでうまくいってる人の成功する秘訣って、金にならなくても誰かが面白がる事をギブし続ける事なんだよね。
僕は雑文書きなので、ありとあらゆるプラットフォームでテキストを書き綴り、そこで出会った人と価値の交換をしていれば、そこそこ満たされて幸せな生活をできるのではないかなと思っているのである。何事にも偏見は持たずに吸収し続けて、自分なりの満足できるアウトプットをずっと続けていきたいものだ。