気分はネガティブでもやるべきことをやるだけである。
はい、おはようございます。今日もブログ書いていきましょうかね。最近のマイブームっていったらやっぱりObsidianでライフログ書くことなんだよな。なんかこう、自分の考えてることを細かくメモしていくのが妙に楽しくて、気がつけば何十行も書き散らしてる。けどね、これも波があって、めちゃくちゃ書き込む時期と、ほとんど書かない時期が交互にくるんだよ。
今は書きまくるフェーズだから、一週間くらい振り返ると「なんだこの人、やたらネガティブじゃん」って思うぐらい。まあ、ブログを読んでる人からすれば「今さら何を言う」って話かもしれないけど、それにしても、自分でも「こんなんじゃ人生つまらんだろうな」とか思ったりするんだ。
でもね、ネガティブなのはもう仕方がない。脳みその癖みたいなもんだし、それを無理やり変えようとすると、かえって自責感で自己肯定感を下げることになる。考え方がネガティブであっても、自己肯定感は別に持てる。
僕は性格的に暗いけど、それでもまあまあやれてるんじゃねえか、っていう感覚はちゃんとあるんだよ。そう思えるだけで救いみたいなもんだ。だから「気分を変えよう」なんて目標立てるより、「気分は気分、それとは別に自分のやることをやる」って方向のほうが現実的なんじゃないかと最近は思うんだよね。
実際、朝起きたときはどんよりネガティブでも、ルーチンをこなしていくうちに少しずつ気分が上向いてくるってことはよくある。気分は暗くても、行動はきちんとできる。ここが大事なんだろうな。世間じゃ「前向きでなきゃいけない」って空気があるけど、それ自体が一つのバイアスだと思うんだ。
別に気分が沈んでたって、自分が決めた行動を淡々とこなせば、それなりに生きていけるんじゃないか。そういう意味で、ACT(アクセプタンス&コミットメント・セラピー)の考え方は腑に落ちる。気分を無理やり変えようとせず、受け入れた上で、自分の人生の目標に沿った行動を取っていく。これが一番しっくりくるんだよね。
僕自身、ネガティブな気分に流されながらも小説を書いたり、ブログを更新したり、仕事だってなんだかんだでやれている。だからこそ、他人の評価を自分の価値基準に組み込む必要なんてないなと思うんだ。大事なのは「自分はこれをやりたい」と理性で決めたことを、気分に関係なく実行すること。悲しかろうが悔しかろうが苦しかろうが、とりあえずやることはやる。感情は感情、行動は行動。分けて考えるとずいぶん楽になる。
もちろん、気分が発してくるメッセージには意味がある。たとえば「この方向性は間違ってるんじゃないか」とか、そういう警告のサインとして受け止めることもできる。だけど、最終的にどの道を行くかは自分が決めることであって、気分に完全に支配される必要はない。だから僕は「やりたい」と思ったことに向かっていく。そのうえで気分はただのノイズとして受け入れる。それくらいの距離感がちょうどいい。
結局のところ、人生ってのは短く切り取れば悲劇でも、長く眺めれば喜劇なんだと思う。チャップリンもそう言っていた。
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Life is a tragedy when seen in close-up, but a comedy in long-shot.
人生はクローズアップで見れば悲劇だ。しかしロングショットで見れば喜劇だ。