
自分の心を支えるものをたくさん持つのは必要ね。
はい、おはようございます。今日もブログを書いていこうと思います。
朝起きたら、なんだか頭痛がして調子が悪いなと感じた。こういうのはたまにあって、主治医の精神科で頭痛薬を処方してもらってからは、症状が出るたびに薬を飲んでなんとかやり過ごしている。頭痛薬はカロナールであるけど、こちらの方が依存性が少なくてクセになりにくいらしい。
頭が痛いと自然と機嫌が悪くなって、どうしても気持ちが下に引っ張られてしまう。頭痛に伴ってメンタルも落ち込みやすく、会社で嫌だったことを反芻してしまって、思考がぐるぐると止まらなくなるのが困りものだ。
少しずつ反芻思考に距離を取る練習はしているが、それでも気分の悪化は避けがたい。結局のところ「これはどうしようもねえな」という感じである。反芻思考をメタ認知はできるけども、結局、その思考で受けるダメージについてはコントロールしにくい。
母親の入院が続いていることもあって、ストレスは長引いている。だからこそ、今度の日曜は予定もないのでサウナにでも行こうと思っている。何も考えずに過ごせる趣味を持つことは大事だと実感している。自分にとってはサウナはまさしく思考停止のための方法でね。適当に蒸されて水風呂で急冷されてるだけで、思考は完璧に停止する。
自分の場合、小説を書くのが「気分を止める」趣味であり、同時に自分を前向きにしてくれる活動でもある。こういうものが一つでもあるかないかで、精神的な持ち直し方は大きく違う。
他人に気分を変えてもらうのを待ちながら文句を言い続けるよりも、自分からサウナに行くとか、強引にでも気分を切り替える手段を持っていた方が強い。そう考えるようになった。
とはいえ、別に自分が特別に優れた人間だとは思っていない。ただ、調子が悪いときにルーチン的な作業に没頭して思考を止めるのは有効だと感じている。
例えば皿洗いをひたすらやるとか、歩き続けるとか、そういう地味な動きで気分を誤魔化すことは意外に役に立つ。わざわざ瞑想をしなくても、ウォーキングや掃除などの繰り返し行動で気分は変えられるのだと思う。こういうルーチンな家事をやることも思考停止のための手段としては有効である。
音楽もその一つで、さっきはフォーレのレクイエムを聴いて少し気分が和らいだ。クラシック音楽は特に、直接的に感情を揺さぶる力が強い気がしている。慰めてくれる音楽、鼓舞してくれる音楽――そういう曲をいくつか持っておくことは有効な気分転換の方法だ。
考えてみれば、こういう気分転換の方法は昔から人が言い尽くしてきたことばかりだ。どれだけ最新の気分安定法の本を読んでも、結局は人間の心のパターンは変わらない。別に最新の自己啓発本の中で使われてる方法を使おうが、昔の養生訓で言われてることも、本質的なところでは変わらないのだろう。
だから、昔から続いてきた「定番のやり方」に頼るのが一番なのだろう。もちろん、その定番に自分なりの工夫を加えて、新しいアプローチを作っていくこともできるだろうが。
今こうして体調が悪いからこそ、そういうことを考えているのかもしれない。そして、ブログを書くという行為自体もまた、自分にとっては大事な気分転換の方法だ。
どうしようもなく気持ちが落ち込んでいても、文章を書いていれば少しは整理されるし、気分も変わる。ブログ、ノート、ニュースレター――媒体は違っても、書くことそのものが救いになる。
いざという時に使える「気分転換の手段リスト」を作っておくのも悪くないと思う。結局、今こうして調子の悪さをそのまま文章にしているのも、気分を変えるための方法だ。
紙面を私物化している感覚はあるが、それでも書くことで考えをまとめ、気持ちを持ち直すことができる。それで十分だと思う。