
ハイ・ファンタジーも書いてみたくあるものだ。
おはようございます。今日は本当に寒い。 最強寒波、という言葉が誇張じゃないくらい、朝起きた瞬間に体が拒否反応を示してくる。
沖縄でも気温は12度前後らしいけど、問題は風だ。風が強いと体感温度が一気に下がる。気温から5度、6度引かれるのは当たり前で、下手すると一桁台の感覚になる。そりゃ朝起きるのがしんどいわけだなと思う。
こういう日は白湯でも飲んで、とりあえず体を内側から温めたほうがいい。寒暖差で体調を崩す人も多いだろうし、僕自身もわりと簡単にやられる側なので、これはもう仕方ないと割り切って対策するしかない。
人間の体って、ほんの少し気温が上下するだけで、あっさり調子を崩す。精密機械なのかポンコツなのかよくわからないけど、たまったものじゃない。まあ、愚痴を言っても寒さは引かないので、この話はここまでにしておく。
最近、オーディオブックでハリーポッターを聴いている。Audibleで全巻セットを見つけてしまって、面白そうなので聞いてみた。ハリーポッターの原作は「炎のゴブレッド」までは読んだかな。改めて触れると「これ、今の感覚で見ると倫理的にどうなんだろう」と思う場面もちらほらある。それでも、やっぱり物語としての強度は高い。
僕はファンタジーが好きだ。特に、ゲド戦記みたいに、作者の内面や闇をしっかり掘り下げていくタイプのファンタジーに惹かれる。世界観が派手とか設定が細かいとか、それ以前に「人間を描いているかどうか」が重要なんだと思う。
その点、最近よく見かけるJファンタジー、ゲームの設定を借りたような異世界転生ものは、どうしても薄味に感じてしまう。トールキンの指輪物語あたりの設定を借りてきて、ゲーム的な快楽だけを抽出したようなものが多い。
ハリーポッターも、魔法使いという点では既存のモチーフを使っているけれど、少なくともオリジナリティがある。世界をどう作り、どう壊し、どう人間をそこに放り込むか。その覚悟がある。
物語を作るというのは、自分の頭の中で設定を考え、そこから逃げずに掘り下げていく作業なんだと思う。だからファンタジーは、書く側の人間性がごまかしようなく出る。
僕自身も、異世界ものを書いてみようと思ったことは何度もある。でも一度くらい、完全にオリジナル設定のハイファンタジーをきちんと書いてみたいという気持ちは、ずっと心のどこかにある。問題は、やりたいことばかり思いついて、手が動かないことなんだけど。
僕はどちらかというとプロッター寄りで、思いつくままに物語を転がすタイプではない。最初に設定を考えて、それをベースに進める。だから下手にファンタジーを書くと、中途半端な世界観で終わりそうな気もしている。それでも、人間心理の掘り下げはもっとやりたい。むしろ、そこが今の自分の小説の一番の課題なんだと思う。
ハリーポッターを聴いていて感じるのは、やっぱり人間の心の動きを丁寧に追っているところだ。だからこそ、多くの人に読まれ続けているんだろうなと納得する。僕も、人間の深いところを観察して、それを物語に落とし込めるようになりたい。
その人間観察のためにブログを読んでるところもある。ブログを続けていていいなと思うのは、いろんな人の内面が垣間見えるところだ。文章というのは、映像よりも直接的に心が出る。喜びも、嫉妬も、怒りも、不安も、そのまま滲み出てくる。 素材として見れば、これほど人間心理の宝庫はない。
もちろん、ネガティブな感情に触れることも多い。それでも、生きていく上では、悲しむより楽しんだほうがいい。人間心理を見つめて、それを創作に回す。そうやって人生を楽しむのも、悪くない選択なんじゃないかと思っている。