SNSって社会のセキュリティホールだと思う。
暑い……。なんだろうこの夏。9月もそろそろ終わりで、10月に入るかなーという時期なのに全然涼しくならない。もともと沖縄は夏が長い地域ではあるけど、真夏級の暑さが9月でも継続して続いており、その異常性についてつくづくと考えさせられる。
エヴァンゲリオンの世界観のごとく冬が無い時代になるのかもしれんな。あれはものすごく嫌だね。僕は夏よりも冬が好きであり、一番好みの情景としては、寒い冬の夜に水銀灯のキラキラした灯りを見たりとか、冬場のどんよりと曇った感じのビーチが好きなのであるが、こう異常気象が続いてしまうと「冬が無くなるかもしれんな」と嫌な気分になる。
今日も今日とて仕事であり、そのあとは筋トレをしてきた感じである。風邪の状態としてはいまだに痰が切れない感じであるけど、体のだるさなどは無くなった。今のうちに体を鍛えておかないとまた病気になるかもしれず、基礎体力を普段からつけておくのは重要だなと感じてるところである。
何を書くべきか考えてしまうけど、最近は色々と雑多に語りすぎてしまい、逆に方向性のないブログになってしまってるなと感じるところ。基本的に僕は多趣味の方ではあるが、そんな自分の思いつきを全部ブログに叩きつけてしまうと、「この人一体何を考えてるのか分からない・・・」と周りの人に呆れられてしまうだろう。
最近は、好き勝手ものをいうのはブログでしかやってない。たまに、TwitterなどのSNSも覗いてみたりなどはしてみるのだが、人を人と思ってないような言説ばかりが溢れておりうんざりする。なんか、明らかにわざと読んだ人を傷つけることを目的で書いてるのではないかという発言がかなり見受けられて、SNSというのは社会のセキュリティホール説について確信を深めてるところである。
僕的には、古い定型文ではあるけど「まだ、SNSで消耗してるの?」という煽り文を書きたいぐらいである。ネットを使って情報発信をしたいのであれば、ブログなりニュースレターなりを使って自分用のコミュニティを作るのが最適解だなと思うところである。むしろ、現代においてはSNSで他人と繋がりすぎて、相互監視で生きづらくなっており、ブログ程度の疎結合なネットワークが人間の認知能力には適当なんじゃないかな?
Twitterなどのfollow/follower関係のSNSについては、歴史的役目をもう終えたのではないかというのはマジで思っている。必要以上に人と繋がりやすすぎることについては、それで出会わなくてもいい敵と邂逅する確率ばかりを高めてしまい、その結果、社会は分断されてしまった。
この社会の「繋がりすぎ」については社会問題だと思っており、必要以上に情報伝達を加速させてしまったため「ポスト真実」の陰謀論やデマなどが発生してしまった。これらの「ポスト真実」的なものは、情報を加速させてしまった情報社会で発生するバグのようなもので、社会の分断などを解決するためには情報伝達速度を少し緩めないとならないのではないかと思っている。
人間の脳の容量だと、人間関係は150人程度がリミットだという考え方である。しかし、現代のSNSにおいては数千単位の人々と容易に繋がれてしまうのであり、当たり前ではあるがそんな状態では一人一人の情報というのは正確に把握できない。
follow/followerで他人を数字だと認識した結果、他人の存在というのは単に自分の承認欲求を満たすためのパラメータと変化した。人とコミュニケーションをするのはいいねを集めるためにアテンションを集める過激な言説をすることだと誤認する人が多数発生した。。これが、一部の人間だけであれば問題なかったのだが、SNSが社会システムの中でインフラとして組み込まれてしまったために、社会全体で言ってもいいことと悪いことが見分けがつかなくなるという問題が発生してきてるのである。
これは既存のメディアなどの問題もあるだろう。特に民放などのメディアの場合には、最近は中の人たちは社会の意見イコールSNSでの話題だと思わせようとしてるのか、人気Youtuberを番組に出したりSNSの話題のコタツ記事で番組作りをするようになってきた。SNSでの今までは瑣末だった過激な声がメディアにより拡散と再生産がされているのであり、その中には明らかに反社会的なものも含まれている。
これは「ジャーナリズムというのはなんなのか?」というのをマスコミの人たちは真剣に考えろとも思うのだけど、こういう簡単に世間と繋がれてしまう世界だからこそ、個人としてのあり方を一人一人が再考する必要があると思うね。現実問題、社会の分断や陰謀論などの「ポスト真実」的な世の中を改善していくためには情報リテラシーの教育しかないのであろう。それまでは、一人一人が世の中の様子を観測しつつも自分の内心をしっかりと把握して、自分が本当に必要なのはなんなのかじっくり考えるのが重要だろう。