超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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ブログをちゃんと書くのも悪くないと思う。

ブログをちゃんと書くのも悪くないと思う。


とりあえず今日はひたすら仕事をしまくってる日だな。毎日ブログ更新の難点としては、こうやって平日は書くべきブログネタを捻出するのが難しいということがあるよな。


まぁ、適当にネットをふらついたりニュースなどを調べた上でその事柄について一言述べるという書き方もできるけども、詳しくもない時事問題に知ったかして偉そうに壮言大語するというのもなかなかに恥ずかしい行いだよな。その社会問題に対して色々と知ってることがあって語るべき一家言を持ってるならば良いんだけど、良くも知らない話にいっちょがみをして無知を晒すというのは恥ずかしい。自分も大概、恥知らずな人間であるからそういうことはよくやってるのだけど、自分よりも知識がある人から見たら残念に見えるような行動を頻繁にやるのは、あまりにもなんか精神的に幼い行動だよなーと思う。


ブログネタの収集は、自分自身の世の中や日々の出来事に対する情報感度というのを研ぎ澄ますのに使える。何も考えずに日々ダラダラと生きているのならば、身の回りで何か深掘りしたら面白くなる出来事が埋もれているかもしれないのにそれをスルーしてしまう可能性も高い。僕がブログを書くことで起きる良い効用だなーと思うのは、毎日ブログを書く習慣を持っているのなら、そのブログネタを探すために日々の生活の中でおもしろいことに気が付く感性が鍛えられる事である。


日々の生活というのは、毎日同じことの繰り返しのようでありながら、その繰り返しの中で微妙な変化が現れてくるのである。毎日日記とかブログを書き綴る習慣を持ってる人は、その細かな日々の変化に気がつきやすい。


たとえば、春夏秋冬で季節が変わりゆく中で、毎日ただ生きてるだけならば、なんとなく寒くなったりとか暑くなったりみたいなぼんやりとした感覚でしか季節を気がつかない。しかし、俳句を書くのに使う歳時記を眺めてみるだけでも膨大な言葉が見つかるように、日本という国は移り行く季節に言葉を託したりすることで文化を作ってきた国である。日本の四季というのは色とりどりに季節ごとで見せる表情を変える。俳句だとかああいう言葉を使った趣味は、その移り変わる四季を楽しむものである。


ブログにしてもしっかりと毎日書くことを習慣づけたのならば、日々の中で移り変わる細かな出来事というのに気がつきやすくなる効能が期待される。毎日ブログを書こうと思うのならば、1日の中で必ず何か1つはブログネタを探す必要が出てくる。書くべきブログネタの中に生活のあれこれだとか、今日思いついたアイディアみたいなものを盛り込めば、毎日が楽しくなってくるだろう。こういう日々の生活の中で少しずつ変化するものを気が付く感受性というのは、鍛えていけば日々を楽しく過ごすことができるようになると思うのである。何も変わらないと思っていた日々の中で、実は自分は少しづつ成長しているのだと気が付くこともあるだろう。こういうわずかな変化に気がつける感性を鍛えるという意味では、日記やブログというのは最強のツールである。


僕はこうやって長い期間、ブログの毎日更新を続けてきたけども、過去の記録を自分で振り返って読んだら自分の成長を振り返ることができる。ほんと、このブログの毎日更新を始めたばかりの時というのは、露悪趣味がひどくてかなりクズめな人間であった。曲がりなりにもちゃんと規則正しく生活をするようにして、社会生活もしっかりと送るように気をつけたおかげなのか、わりかし人間的に成長もしてきたのではないか? と恥ずかしげもなく自画自賛をしながら思うのである。


別に毎日書くべき場所というのはブログに限らなくても良いかと思うけど、現代社会にはブログというツールがあるので、どうせ書くんだったら自分の思ったこと考えたことを誰かに読んでもらうためネットに晒すというのも悪くはない。僕もネットで雑記ブログを書き続けてきてある程度の歴史を築いているけども、ちゃんと自分の気持ちを素直に書くようにしていれば読んでくれる人は現れるものだ。


ネットにいる有名人みたいに、ブログを書いた程度で大バズを引き起こしてチヤホヤされるとか、アフィリエイトでガッポガッポ大儲けみたいな甘い夢は見ない方がいい。だけど、素人のブログであれども、書き続けていれば必ず一人ぐらいは読み続けてくれる読者は出てくる。たまにコメントも貰えたりするし、はてなブログであればスターを使ってブロガー同士で交流することもできる。


なにより、ある程度の書き溜めた記事のストックができてきたら、自分自身が振り返って読むのが楽しい。僕はたまに自分のブログを読み耽ってることがあるけど、ほんとこの人はどうでもいいことで喜んだり落ち込んだりおかしな人であると思う。自分のブログをもっとも深く繰り返し読む読者は自分自身であるし、未来の自分に送るビデオレター的なものでブログをちゃんと書くのも悪くないと思う。

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